金大中(キム・デジュン)政府の政策をめぐる議論が絶えずにいる。野党ハンナラ党では「古い社会主義およびポピュリズム(大衆人気迎合主義)の政策」だと批判しており、与党民主党では「社会主義と社会福祉政策も区分できない」と反発している。理論的に考える時、現政府の政策を社会主義的だと批判するのは行き過ぎだ。
ハンナラ党は、主に現政府の行き過ぎた経済介入と過度な平等主義の追求を社会主義的なものと見ている。しかし、いわゆる「官治」経済が問題ならば、以前の開発時代の経済政策は全て社会主義と見なされるべきだろう。行き過ぎた平等主義の追求も、社会主義よりはポピュリズムという観点から問題視した方がより正確だろう。筆者が思うには、政策の「内容」の面において現政府は新自由主義と管治経済、そしてポピュリズムが混在された「正体不明の政権」だ。このうちポピュリズムの側面は、現政府の政策を進める「スタイル」ゆえにさらに強化されている。
現政府は二つの難点を抱えて生れた。一つは通貨危機から始められた経済危機であり、もう一つは少数派政権という点だ。こうした難関を乗り越えるため現政府は、政権初期から財閥、金融、労働の4大部門に対する改革を強力に進めた。しかし3年半が過ぎた現在、改革の成果はそれほど大きくない。負債比率の制限と出資制限を強調した企業の構造再編を行ったにもかかわらず、依然として多数の上場企業が営業利益で利子も返済できずにいる状況だ。
2回にわたって途方もない公的資金を注入した金融界への構造再編は、「新管治」というもう一つの問題に直面している。公共部門の改革も、政府組織法を3度も見直したが政府組織はむしろさらに膨らんでおり、公企業の構造再編もやはり振わずにいる。労働部門の構造再編の場合労働市場の柔軟性は若干確保されたが、それによって生じた失業問題と主要部門においての労組の強力な抵抗は依然政府の課題として残っている。
こうした状態で現政府の改革政策は進歩(左)と保守陣営(右)の両サイドから攻められている。右側、すなわち市場至上主義を好む資本側では政府がさらに多くそして迅速に企業に対する規制を解除しない点を不満に思っている。それらの立場から見る時、政府が進めたビックディール(事業交換)や企業に対する労働者整理解雇自制への圧力、出資制限、負債比率の制限などは全て市場の原則に背く管治経済の標本だ。
反面、左側すなわち、社会運動勢力は政府が財閥を迅速に解体しないまま、構造再編による全ての負担を基層民衆に転嫁しているとして、不満を吐露している。これらは現政府の改革政策に対し、社会的安全装置も設けない状態で労働部門に対する構造再編だけを強行する、新自由主義的改革だと批判している。結局、現政府の改革政策はきちんとした成果もあげられない状態で、右側からは過少市場としてそして左側からは過剰市場として批判を受けているのだ。
こうした状況で、政権に対する支持は下落傾向から抜け出せずにおり、伝統的支持基盤である庶民層さえ背を向けてしまうと政府はそれらを狙った人気取り政策を相次いで打ち立て始めた。国民基礎生活保障法、国民年金の拡大、医薬分業、週休二日制、教員士気振作策、各種の減税政策などがその例だ。しかし、こうした諸政策が一様に拙速で推進されることによって国民生活に不便ばかり加重させ、むしろ国民的反発を呼び起こしてしまった。ゆえに経済環境を考慮しないポピュリズム政策だとの批判に直面するようになった。
その上現政府は各種の改革政策を進める過程で、国会内での討論と協商に頼るよりは院外の外部勢力を動員する方法を取った。こうした政策の推進方法もやはり現政府の性格をポピュリズムとして規定するうえで大きく寄与している。現政府は少数派の限界を克服する方策を院内でのリーダシップの確保と交渉能力を高めることから見出すべきだった。こうした正道を放棄し、せっかちに院外勢力に頼ったことによって、現政府は社会福祉的レベルから必ず施行すべきだった政策においてもポピュリズムだとの批判を避けられずにいるのだ。
現政府の最も大きな悪手は、新自由主義と管治経済そしてポピュリズムの間でアイデンティティを見出せず、右往左往したことだ。いまでも政府が国家の将来に向けて一貫性を回復することを期待したい。
キム・イルヨン(成均館大政治学科教授)