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「人間になりたい」未来版ピノキオ

Posted August. 03, 2001 19:13,   

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芸術映画の巨匠と商業映画の巨匠の出会って映画を作れば、恐らく結論ははっきり出るだろう。即ち、秀でた作品性に興行性まで兼ね備えた傑作になるか、もしくは作品性も興行性もない拙作で終わるか。

「A.I.」(Artificial Intelligence・人工知能)は、巨匠の故スタンリー・キューブリック監督の遺作プロジェクトをハリウッドの興行士スティーブン・スピルバーグ監督が引き継いだという点で撮影前から話題を集めた作品だ。

この映画は、人間の母親の愛情を求めて本当の人間になろうとしたロボット少年の話だ。

映画は3つの部分から成る。先ず、デイビッド(ハーレイ・ジョエル・オスメント役)は、感情を持つ11歳のロボット少年。スウィントン夫婦は植物人間になって病院に冷凍保管されている実の息子の代わりにデイビッドを養子にした。しかし奇跡的に生き返った息子が退院し、母親(フランシス・オーコーナー)の愛情を独り占めする。嫉妬するデイビッドが息子に危害を与えることを恐れた母親がデイビッドを森の中に捨てる、というのが最初の部分だ。

2番目の部分は、「本当の少年」になれば、母親の愛情を取り戻せると信じるデイビッドがピノキオを人間にした童話の中の「青い妖精」を探し求める冒険だ。

最後の部分は、2000年の歳月を飛び越える。エイリアンのような格好をした未来の地球を支配する種族は、青い妖精の銅像の前で凍りついたデイビッドを発見する。

この映画にはスピルバーグとキューブリックが共存する。スピルバーグは、キューブリックに対する敬意を表す意味で「時計じかけのオレンジ」や「博士の異常な愛情」「2001年宇宙の旅」などのキューブリックの作品のイメージを映画の中に溶け込ませた。ローテンポの最初の話などは明らかにキューブリック的色彩が強い。

しかし母親のもとに帰りたがる少年が不慣れな環境で経験する冒険は、スピルバーグの「E・T」を思わせる。「オズの魔法使い」や「ピノキオ」を混ぜ合わせたような童話のような内容もしかりだ。何より、キューブリックならば陰鬱で鋭く終わらせていたであろう結末を丸く仕上げ、おとぎ話的にしたのはスピルバーグ的だ。

ずっしりと重い倫理的問いかけは、キューブリック的だ。映画は、導入部で科学者の口を借りこのような問いを投げかける。「愛するという感情をインプットされたロボットに対して人間はどのような責任を負うべきか。」

「A.I.」は、米国で封切りされた最初の週のみボックス・オフィス1位になった。決して大衆的な人気のある監督ではなかったキューブリックが「スピルバーグの力で、死んで初めて1位を手にした」というジョークも広まったが、スピルバーグとしては期待以下の興行成績だ。

しかし、日本では過去最高の封切り週末興行記録を樹立し賞賛の的となっている。

この映画はキューブリック・マニアや根っからのスピルバーグファンにとっては、がっかりする作品とも言える。キューブリック映画と言うにはほんのりと温かすぎるし、スピルバーグ物にしては重いからだ。しかし全く性格の異なる二人の巨匠は、2時間24分という長い時間を通して、妙な化学的結合を成し遂げた。

スピルバーグは、キューブリックのアイディアを背景に、心の琴線に触れるような感動と目を離させない特殊効果、そして未来への想像力に満ちた「大人のための考える童話」を作り出したのだ。韓国では10日に封切りされる。



sjkang@donga.com