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[オピニオン]国民を目ざとくさせる国

Posted August. 20, 2001 09:52,   

한국어

先月、週末にテレビで放映された「007ネバーダイ」という映画を見た。もちろん非現実的なスパイ映画で、ピアーズ・ブロスナンが演じるジェームスボンドは、ショーン・コネリーよりもかなり劣るが、ハラハラさせられる痛快なアクションとスリルで真夏のイライラを吹き飛ばすには十分であった。この映画のストーリーは、ある世界最大のメディア王が、所有するテレビ会社と新聞の株価をつり上げるために、中国製の爆弾で英国の軍艦を沈没させ、第3次世界大戦を引き起こそうと企んだが、英国の諜報局がそれを嗅ぎ付け、ジェームスボンドが未然に防ぐという話だ。

映画を楽しく鑑賞しつつも、ひょっとしてこの映画を放映する理由は、マスコミ社脱税の告発やマスコミ改革要求と関連して、「その気があればマスコミは、ホットなニュースを作り出すために何でも出来る」というメッセージを伝えようという意図ではないかと思われた。

もとよりそのような証拠はないが、1987年の大統領選挙の際、投票日の直前に、共産党が数百万人の人命を奪うという虐殺を描いた映画「キリング・フィールド」が放映され、投票に影響を与えたことを考えると、有り得ない推測でもなさそうだ。そう思いつつ、鈍感な私も韓国で生まれ育って半世紀にして、おぼろげながらも洞察力がついてきたようだと内心苦笑した。

事実、ある政府政策が発表されると、私はそれが標榜する意図と目標を何の疑いもなく受け入れるが、後に他の人が、政府の発表は何の参考にもならないと政策の「政治的」思惑を容赦なく分析するのを聞くと、全てに納得がいき、私はいつも自分が「まぬけ」のように思われ、内心恥ずかしく思うのであった。それで私は、韓国では生まれながらにして「落ちこぼれ」であると諦めていた。しかし、その週末の映画が放映された理由に思いを巡らせつつ、私にも「センス」がついてきたかと希望をもったのであった。

しかし、数日後、運転中の携帯電話通話取締りの広報期間を3ヵ月引き伸ばすという発表を聞いた時、すでに取締りが始まったと思って運転中には電話に出なかった私は、携帯電話の使用を取締るのにそんなに長い広報期間が必要なのかといぶかしく思ったが、さほど気にせず聞き流した。その後、携帯電話取締りの先送りが、休暇シーズンに携帯電話を利用できるようにして、補欠選挙を控え民心をなだめる計略であるという分析を聞き、再びやるせなくなったのであった。

数年前トルコに行った時のこと。そこでは1ドルが十数万リラだった。トルコの子供たちの数学の実力を育てるにはいいが、観光客には大変不便であると言ったら、現地の人々がとても愉快そうにしていた。そのような膨大な貨幣の膨張は、国家経済が不健全であるという証拠ではなかろうか。同様に韓国政治の不透明性は、国民の洞察力と分析力の伸長には役に立つかもしれないが、政府と国民との間に信頼が消失したということを意味するのではなかろうか。

もとより韓国の国民だけが政府政策の「思惑」に思いを巡らせているわけではない。外国人もそのような分析を好んでする。しかし英国や米国ではたいてい、それは楽しい知的遊戯であって、韓国でのように憤慨とため息を誘発したりはしない。

孔子は国を治める3大要諦として、国防、経済そして国民の政府への信頼を挙げたが、中でも信頼が最後の砦であると説いた。韓国は、長らく国防と経済に依存して存続してきたが、国民が直接選んだ政府が政権を担っても信頼が回復されず、政府は「公的資金」と物理的な力の行使で持ち堪えている。

野党も与党も、唯一の関心は政権の獲得であり、発表されるあらゆる政策は政権継続または政権担当のためのものであることから、国民は来年に迫る選挙を考えただけでうんざりし、好感を持っていた政治家の名前が「大統領選挙の候補」に挙がるだけで、こりごりするといった有り様だ。

航空安全が2等級に墜落し、国家基盤がもろくなる状況下にあっても、選挙にさえ勝てばいいと考える政治家に国を任せながら、そうは言っても北朝鮮に比べれば、選挙がある国に住んでいるだけ幸せであると言い聞かせながら、甘んじて暮らさねばならないのだろうか。

ソ・ジムン(高麗大英文学教授、本紙客員論説委員)