19日は旧ソ連の崩壊をもたらした保守派によるクーデター未遂事件発生から10年目になる。10年という歳月が過ぎたが、いまだにクーデターの原因が明確にされないまま当時の状況に対して、当事者間の証言が分かれている。
当時大統領だったゴルバチョフは19日、米国LAタイムズ紙とのインタービューで、「国家保安委員会(KGB)による盗聴説」をクーデターの原因として提起した。ゴルバチョフ氏は、「1991年7月、エリツィンとの秘密通話で、クリュチコフKGB委員長とヤゾフ国防長官など保守派要人らの解任を議論していたが、これがKGBによって盗聴された」と主張した。クリュチコフ委員長らが失脚の危機を知り、クーデターを起こしたというのだ。
しかし、クーデター首謀者の一人だった当時のヤナエフ副大統領は18日、ロシアマスコミとの会見で、「当時は、ゴルバチョフ大統領もクーデター発生数ヶ月前にすでに非常事態宣言に同意した」と証言した。クーデターがゴルバチョフ元大統領の黙認による、不可避な選択だったという主張。
保守派は91年19日、ゴルバチョフ元大統領を軟禁した後、非常事態を宣言し、軍を動員した。だが、丸腰で戦車を止めた市民の力とエリツィン前大統領の抵抗で、クーデターは三日目にして失敗に終わった。
その後、ゴルバチョフは実権を失い、ソ連内の各共和国の分離独立の動きが加速化するにつれて、その年の12月、結局ソ連は崩壊した。
19日、モスクワの内閣庁舎の前には、市民の力でクーデターを阻止し、民主化を成し遂げたことを祝う記念式が行われた。
しかし、クーデターの支持者らはまた別にプシキン広場で集会を行い、失敗したクーデターとソ連の崩壊を残念がった。
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