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[オピニオン]未来に生きる恐ろしさ

Posted September. 05, 2001 09:45,   

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「秋」を整理の季節と規定づけた人がいた。耳が遠くなるような騒音の中でも、完全に静止した内面の時間を持ち、洋服のレース飾りを取り外すのと同じように、日常生活と心の中から無駄なものを振り落してしまいなさい、と勧めている。本当にそのような余裕が持てたらどんなにいいだろうか。社会の構成員全てが、つかの間でもそのような時間を確保できれば、より充実した秋を迎えられることだろう。互いに理解し合い、依然として不平等はあっても、持てる者の節制と持てない者の自尊が、僅かながらも調和を成せるのではないかと期待してみる。

ところが現状は、我々の身体はおろか焦る気持ちをさらに募らせるだけだ。どうしてこんなにも、互いのために思いに更ける少しの余裕をも許してくれないのだろうか。このように落着かない環境の渦の中で目を閉じていると、頭に浮かんでくるのは混乱に満ちた小説のメッセージだった。

キルギスタンの作家チンギス・アイトマトフは「カサンドラの烙印」という小説の中で、奇抜なストーリーを投げ掛けている。同氏によると、受胎直後胎児は、来る人生の中で何が自分を待ち受けているかを予見する。そして、未来の人生が、ありとあらゆる悪に満ちていることを知り、生まれることを拒否することになるが、その意志は、妊娠初期の妊婦の顔に染みや斑点の形で現れるというのである。ところが、地上の人間たちが気づく前にその意志は消えてしまう。胎児が、自らを待ち受けている運命と仲直りをしてしまうからだ。そうして、カサンドラの胎児によって地球の人口が増えるにつれ、人類の悪は次第に蓄積され破滅寸前の飽和状態に達する。

小説は、新しい世紀に人類が直面した文明の問題を取上げている。しかしながら、外国人が作り上げた一つの虚構は、地球全体のそして宇宙の未来に対する警告というよりは、我々の混乱した現実を描いたものとして受止めてしまう。私はカサンドラの胎児ではなかっただろうか。いま展開されている状況は、生まれてはいけなかったはずの我々が冒してしまった、悪の排泄物ではなかろうか。

ここまで思いが先行してしまう朝には、どんなに忙しくても、しばらくの間目を閉じて落ち着きを取戻さざるを得ない。いよいよ政局は、小さな破局を迎えてしまった。破局の後には、いずれにせよ新しい場面が展開されるものだが、不安な政治が規定づける未来の暮らしが、とても不安でならない。もはや経済は、理論家のものではなくなった。最寄の市場で取り交されている重圧感に加え、世界的な不況の予見まで重なってしまう。

肥大化した現代の資本主義経済は、食べ物は豊かでも食卓と器が足りなければ、ひもじい思いをしなければならないと教えているかのようだ。大学の随時募集計画によって、動員された教授は年中忙しくなった一方、高校の教室はさらに混乱を極めざるを得ない。すでに合格した学生、滑って入試準備をやり直す学生、初めから他の進路を準備している学生、いっそう諦めてしまった学生たちが入り交じっている。

そんな中、改革と思想をめぐる激情的な対立は、しばらく小康状態に入ったかのようだ。各自妥協と進展に向けた思索のための準備期間だとすれば安心だが、沈黙する多数が声を出す時が来た、という形で反撃的な態度に出ることが、果して事態の解決に役立つだろうか。これまでの社会的な大小規模の議論が、少数の雄弁のためだったといえるだろうか。少数が主導した改革がことごとく暗礁に乗り上げた原因に、多数を扇動した政治的反対が妨げとして寄与したことはなかったのだろうか。

もう少し具体的に考えてみることにしよう。統一部長官の解任は、本当に野党の主張どおり、現政権の失敗した対北朝鮮政策に対する国民の審判なのだろうか。現実的な条件の下で、南北交流の実行に重点を置くのが正しくないとすれば、過去の非を繰返さない形で他の代案があるのだろうか。先の8月15日に北朝鮮を訪れた訪朝団による「突出した行動」は、その実態よりも別の面が集中的に大きく取上げられたことで、返って韓国に来てから「突発的な状況」に変ってしまったきらいはないだろうか。「万景台(マンギョンデ)精神」という称えたとして慶事処罰されるとすれば、その根拠は、その造語の持つ本質的な社会反価値性のためなのか、それとも包括的な政府の行動指針を忠実に守らなかったためなのだろうか。

このような事柄に対する思索がなければならない。多数の雰囲気に押されて、正しく語られなかったことが多い。そのような考慮と配慮のない思索は、その後についてくる現実に役立てることができない。目を開けた瞬間、目を閉じる前と変わったものは一つもないという事実を発見するだけである。カサンドラの末裔たちが生きていくためには。

チャ・ビョンジク(参加連帯協同事務処長、弁護士)