米国が大惨事に見舞われた日、喜びに沸返るパレスチナ人たちの姿を目にして、何と大人げない人たちだろうと考えずにはいられなかった。あのような反人類的な犯罪、恐るべき人殺しに歓声を上げるというのも情けないが、米国の恐ろしい報復は気にする様子もなく、専らテロが成功したことだけで大小を問わず歓呼雀躍するとすれば、人類の近視眼的な加害と復讐は、人類の歴史とともに永久に続くほかにないのではなかろうか。
米国の報復の威力を知っているからこそ、カダフィ大佐もテロを非難しており、アラファトも怪我を負った人たちのために献血をしたわけで、あの北朝鮮までもが非難声明を出しているのだ。アフガニスタン政府も当初、オサマ・ビンラディンを引き渡すとまで発表していた。数年間に渡る綿密な準備の末、今回のテロに踏み切ったテロリストらは、それが同族に役立つと思い込んでいたのだろうか。
彼らも米国が必ず報復に出るということ、とりわけ強硬路線を打ち出しているブッシュ大統領と共和党政権が米国の傷ついた「プライド」のために、大掛かりな報復に踏み切るであろうということを知らなかったはずがない。しかしながら彼らとしては、何倍もの報復を受けることも覚悟のうえで、アラブ人の存在感をアピールでき、自分たちの誇りを取戻すことができるとすれば、報復さえも甘んじる価値があるという「計算」済みでの行動だったはずだ。
もちろんそれは、理性的な判断とはいえない。ところが、憎悪心に燃える人は、それを満たすことに大きな重点を置くことになるため、常識的な損得計算ができなくなる。
テロに遭った米国とて、直には理性的な判断が麻痺せざるを得ない。政治指導者たちが冷静に計算することができるとしても、米国のメンツを考慮しないわけには行かないし、国民の怒りに対するはけ口も造らなければならない。ところが、米国の行き過ぎた報復で無実の命が多く犠牲され、世界経済が揺れ動くようになれば、米国に同情的だった世界の世論は米国に背を向けることになるだろう。そうなれば、米国は失墜した威信を取戻そうとして、さらに力を誇示するあまり、ベトナム戦の過ちを繰返すことになりかねない。
これが正に、イスラム民族主義者らの狙ったシナリオなのかもしれない。ヨーロッパとアジアが米国に背を向けるとすれば、米国はアフガニスタンの険しい山岳地帯で、ベトナムの何倍もの莫大な国力を消耗する一方、国内的にも葛藤と分裂に悩まされては強国の地位を失い、さらにその過程で自由世界の多くの国が共倒れすることもあり得る。
人間のあらゆる感情の中で、恨みほど盲目的でしつこいものはない。個人的な恨みは、雅量を育て関心事を広げることで、ある程度超越することができる。しかし、民族的な恨みには愛国心、正義感、同族愛、さらには攻撃的な本能が上積みされるため、それを超越することはできない。今回の米国に対するテロからも見られるように、一方には正義の審判が、もう一方には反文明的テロと残忍極まりない人殺しとなるのである。
いずれにせよ、主導権は米国の手に渡っている。米国が世界経済の中心あることのシンボルであり米国の誇りとされる世界貿易センターが、あれほど無残にも破壊され国防総省が爆破された現時点で、米国の怒りに共感しない者はいないだろう。そして米国は、あのような野蛮なテロを受けてお手上げ状態だ、という印象を与えるはずがないというのも分かる。しかしながら、この時こそ米国が大国としての存在感を見せる傍ら、賢明かつ慎重な対応で世界の信頼を回復する一方、世界中に充満している反米感情を回復する機会でもあるのだ。
「二つの不義が正義を織成しはしない」という金言がある。米国へのテロは世界中を驚がくさせたが、さりとて米国の無差別的な報復は許されないだろう。数千年もの間、流浪の民としてあらゆる迫害を受け、ナチスドイツによって1000万人もの同族が虐殺されたイスラエルも、先祖の地パレスチナを強引に占領して、同地の住人だったパレスチナ人を追放したり殺したことが許されることはなかった。
今回の惨事で、米国人たちが見せてくれた愛国精神と同胞愛は感動的なものだったが、米国人全てが賢明な愛国者であるなら、米国政府にして最大限の自制心を持つよう努めなければならない。そして、世界各国も米国の真の友邦を自負するなら、米国に対し心のこもった同情を表すとともに、報復にあたっては慎重かつ人道的に行うことを促すべきだ。今日は、地球上全てに国々の未来が左右される、厳粛な歴史の一瞬である。
ソ・ジムン高麗大学教授(英文学、本紙客員論説委員)