テロ容疑者に乗っ取られた民間旅客機によって米国の心臓部が打撃を受け、罪なき人々が犠牲に遭う場面をテレビで見ながら、人間のことばで言い表すことの不適切さ、そして惨事を目の当たりにした瞬間、我々を取囲んだ感情を現すことが如何に難しいことかを実感した。
ただ、人間の本性がこれほど極悪非道にもなり得るという事実を目にして、かなりの時間が経っているにも拘らず、未だ無気力な状態のまま、漠然とした恐怖感を振り切り難いだけだ。
人は誰でも生涯において、自分の誕生日・各種記念日・冠婚葬祭・その他自分にとって意味のある日々を記憶して祝ったりする。そのほかにも、祝祭日や歴史的・文化的な出来事があった日を皆で記念することも多い。ところが我々は、分断された国の中でショッキングかつ惨い事件を数多く経験しているためか、ちょっとしたことには驚くことも、記憶することもない。
とはいえ、例えば南北首脳会談が開かれた2000年6月15日という日付けは、当時の衝撃を飛び越えて我々の南北関係に関する認識と政策方向を根本的に変えてしまった日であることから、長らく記憶することは勿論のこと、我々の歴史にも残ることだろう。米国において、史上最悪のテロによる惨事が発生した2001年9月11日は、地球上でテロなき平和を追求する人々、とりわけ米国人にとっては、永久に記憶すべき日になりそうだ。
日本による真珠湾攻撃以来、米国人にとってこれ以上に衝撃的な日がまたとあっただろうか。証券市場が暴落した、いわゆる「ブラック・マンデー」などは比にもならず、旧ソ連がスプートニック号を地球の軌道上に打上げ、科学技術の最先進国と自負していた米国のプライドを余儀なく踏みにじった、1957年10月4日くらいだろうか。また、ベルリンの壁が崩壊した1989年11月9日はどうだろう。米国は、この出来事に西側陣営の勝利という意味を与えながら、世界秩序が米国一辺倒で再編され将来、米国が中心となって世界をリードして行けると考えたことだろう。軍備競争に注込んでいた予算を、教育や福祉などに転用して、より暮らしやすい世の中が待ち受けていると期待した者も多かった。
一大事が発生した日を挙げれば、ほかにもあるだろうが、一回性のショッキングなハプニングの枠を超えた、これらの日々が持つ共通点は何だろうか。そのような出来事によって世の中が変わるということだろう。ところが、あのような一大事が齎す重大な変化の意味と影響を、人類が穿鑿して気付くまでには長い歳月を要し、従ってその対応も遅くなってしまいがちだ。
米国のテロによる惨事も、一時的な衝撃の後に忘てしまうような単純な事件ではないのだ。人間の自由と基本的な人権を守り、平和の維持に向けた人類の努力が重大な挑戦に直面したわけで、こうした普遍的な意志と約束が、この先辛く、時には理解し難い方法で引続き試験台に載せられることになるはずだからである。
かつて、人類社会を根本的に変えてきた起爆剤は戦争・技術・宗教または重商主義的冒険主義などであった。ところが、人類社会が成熟してグローバル化に向かって進展すると、とりわけ今世紀に至っては、法律を変化の触媒剤としてさらなる安定性と、予測可能性と透明性を土台にして、人類社会の平和と繁栄を追求してきたといえる。
今般のテロは、法による支配を、秩序の維持と社会変革の触媒剤として新しい世紀を開こうとした人類のパラダイムに、根本的な打撃を加えたものである。これは、人類の歴史を相当部分後退させた結果となり、今後さらに多くの犠牲と混乱と施行錯誤のカオスを経験しながら、変化に対する高いつけを払わされることになるかもしれない。ニューヨーク市が、テロの現場において再び復旧の旗印を掲げたとしても、都市の性格とそこでの生活は永久に変化せざるをえないだろう。
しかし、今は気を取り戻して、総体的なシステムまたは優先順位の見直しに取掛からなければならない。さらには、基本的な人権を守りながらも、世界の平和と繁栄を確実に導いて行ける新たなパラダイムへの転換を模索しなければならない。
2度にわたる世界大戦を始め、今回のテロに次ぐ事件が人類社会を変えているケースはこれまでにもあった。従って、歴史の中から教訓を見出し、現代的な意味に解釈していくなかで、この大きな課題の手がかりを探さなければならないようだ。
ソン・サンヒョン・ソウル大学教授(法学)