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[オピニオン]米国が心すべきこと

Posted September. 29, 2001 09:42,   

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米国はアフガニスタンに大規模な軍事攻撃を断行しないで、テロリストを選別し、追撃する「新たな戦争」を始めると発表した。米国が衝撃から立ち直って、多少ゆとりを持った様子だ。

戦争も今日では、最先端兵器を使って速戦即決で進める傾向にある。1968年の中東戦争は6日後には終わり、湾岸戦争も実質的な戦闘期間は40日ほどだった。しかし、米国側が明らかにした今回の「テロとの戦争」は速戦即決ではなく、ノルマンディ上陸作戦のような作戦開始日(Dデー)もないという。米国は煙を焚いて、穴の中のウサギが自ら穴から出てくるように、テロリストらがもうこれ以上持ちこたえられないように遮断作戦を繰り広げるとしている。テロリストを追いつめる、長くもじれったいような銃撃戦が予想される。湾岸戦争の時のような砲声は鳴り響かないとしても、テロリストとの衝突は世界のいたる所で発生しそうだ。

米国がこのようにDデーのない長期戦に方向転換したのには、国際世論の影響が少なくない。長い内戦ですべての国民が疲労困ぱいしている国、世界でもっとも貧しい国の一つであるアフガニスタンをおよそ60カ国が取り付いて廃虚にしたとしても、結局は米国の単なる腹いせに過ぎないのではないか、という世論が米国内でも起きている。実際、テロリストは奥深い山に逃げ込み、戦争に疲れたアフガニスタンの国民だけが犠牲になるとすれば、果たしてこの戦争を支持する人がどれだけいるだろうか。

問題は「新たな戦争」の方法論だ。まず、米国はテロとの戦争に対する名分と価値を徐々に築き上げる必要がある。説得力のある戦争にしならなければならない。米国は今回の戦争が自由と正義、そして民主主義を守護するためのものだと強調している。しかし、何が自由で正義なのか。世界のいたるところで少数民族、分離主義者、民族主義者が独立と自治を掲げて闘争を続けている。彼らには生き残りが自由と正義より優先する。こうした状況で、時にはテロリストとなって、文明社会の異端児の役割を受け持つ時もある。

だからと言って、ロシアのチェチェン共和国民族主義者や中国の新疆ウイグル自治主義、イスラム教徒、英国の北アイルランド軍、トルコのクルド族、インドのカシミール分離主義者、スリランカのタミル反軍をすべてテロリストだと罵倒することは大きな間違いだ。米国が戦争しようとしている対象は彼らではなく、人類の文明を破壊し、地球の平和を壊そうとする邪悪な集団に限らなければならない。しかし、その区分と限界があいまいなのが現実だ。テロリストを判別する基準は、各国の利害関係によって異なるためだ。反テロ作戦のために、国家間の妥協や交渉を進めていくと、罪のない少数民族や民族主義者がテロリストに追い込まれる可能性があるという事実を米国は常に念頭に置いて警戒するべきだ。そして、彼らが決してとんでもない被害を被らないようにすべきだ。

米国は当初、世界各国に対して、「私たちを選択するか、テロリストたちを選択するか、せよ」として両者択一の選択を強要した。一朝夕にして罪のない約6000市民の命を奪ったテロリストに対する敵がい心と憎悪がどれほどのものだったのか、十分理解できる。しかし、正常な状況でないにしても、こうした選択を強要する行為は、各国の独自の判断と決定を無視した米国の独断であり、傲慢である。どの国であれ、両者択一の選択を強要されれば、拒否感を先に感じるだろう。一方的な考え方を捨てない限り、米国は決して国際世論の支持を得ることはできないだろう。

現在、軍事力だけを見ると、米国に敢えて挑戦する国はない。過去の一時期に競争関係にあったロシアは力を失い、潜在的な挑戦国とされている中国はまだ、米国との競争に乗り出すような状況ではない。さらに、英国、フランス、ドイツ、日本など世界主要国家が米国の位置づけを認め、支持している。だから、2000年代の幕開けとともに、米国による平和(Pax Americana)時代が開かれつつあると主張する人も多い。

しかし、米国の力にも確かに限界がある。国際世論は時には米国に劣らない威力を発揮する。テロリストと絶えずかくれんぼしなければならない消耗戦の沼に落ちないためにも、米国は国際世論の支持を得るべきだ。

ナム・チャンスン(論説委員)

朴京南



南贊淳 chansoon@donga.com