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[オピニオン]仲秋節に思い出すこと

Posted September. 30, 2001 09:42,   

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母さん、あなたを思い出す度に胸の片隅が痛んできます。近代史の混乱期を経験した世の中の母親なら誰もが、贅沢とは程遠い生涯だったに違いありません。なかでも、あなたのそれは、人一倍波乱に満ちたものでした。死神と隣り合せの戦乱の中で、キリスト教信者となり、夫と死別した後は、30年の歳月をひたすら信仰の力に頼って、人生の重みに耐えてきましたね。振り返れば、あなたの生涯で、あなた自身の人生はなかったのです。あなたの人生は、いつも子供たちのそれに隠れていました。

母さん、大人って実に虚しいものですね。都会の片隅を大手を振って歩いていても、思わず、子どもの頃に背中をなでてくれた、あなたのささくれ立った手のぬくもりが恋しくなると、虚空を見上げたりします。ところが、嬉しいニュースを持って、真っ先にあなたのもとへ駆け込んだ記憶はあまりありません。人生に疲れ果て、どこかで思いっきり大声で泣きたくなった時に限って、私はあなたを思い出していた気がします。

母さん、今年も仲秋節がやってきました。兄弟は皆揃ったものの、あなたの姿はもうここにはありません。故郷の家の庭先には、雑草だけが鬱蒼と生えています。大きな柿の木も、庭の枯れ葉も寂しい限りです。いつか仲秋節の夜、故郷にある実家の縁側に集まって、山の上の満月を眺めながら語り合ったことを憶えていますか。あの時、あなたは私に「故郷と根本を忘れてはならない」と言いましたね。

忙しくて、電話で仲秋節には帰省できないと伝えたある年も、あなたは同じことを言いました。

「母さんのことは忘れてもいいのよ。ただ、故郷と根本を忘れてしまうのではないかと、それだけが心配です」。

今は、悔恨となってしまいましたが、1年に2回お正月と仲秋節にあなたのもとへ帰ることさえも、ろくに守れなかったということが悔やまれてなりません。あなたと過ごした最後の仲秋節休みが過ぎて、帰京の準備を急いでいたある日の朝のことでした。帰省ラッシュで実家まで来るのが大変だから、来年は母さんが上京した方が良さそうだと話した時、荷造りを手伝いながらあなたは言いましたね。

「来年の仲秋節のことは言わないでおくれ。私が家にいないかもしれないのに・・・」。

私が聞きました。

「母さん、どこへ行くんだい?」。

「良いところへ行くかもよ・・・」。

あなたは何気なく言ったつもりでしょうが、あの時、あなたの老いた目尻が濡れてくるのを、私は見てしまったのです。あなたの予言通り、翌年の仲秋節が来るのを待たずに、あなたがいつも憧れていたところ、別れも涙もないところへ旅立って行きましたね。

母さん、思えば、私はあなたがあれほど忘れるなと言っていた二つを忘れて生きていたような気がします。仲秋節の度に、私たちの帰省を待ちわびていたのも、単に里芋の芋汁やよもぎじるを拵えて、あなたの子どもや孫たちに食べさせるためだけではなかったのかもしれないと思うようになりました。アスファルトの上を走り回る、忙しい都会生活から戻った子供たちに、あなたは、私たちが生まれ育ったあの故郷の地の原理と人間としての道理などを、仲秋節の機会を通して私たちに悟らせたかったのではないでしょうか。

母さん、今年も故郷の山の上には、中秋の名月が上っていることでしょう。あれほどさまよい、そして自由を求めてあなたのもとを離れていた子供たちは、一人ふたりと帰ってきて、故郷の家の縁側に集まっています。しかし、笑顔で迎えてくれたあなたは、もうここにはいません。

古の昔から私たちを見守ってきた青空のもとで、故郷の実家には昔同様、名もない虫や昆虫などが飛び交っています。この小さな生き物たちが息づく故郷の地を眺めながら、私は改めてあなたこそ、この地の力の源であったと、つくづく感じています。故郷の家を守ってきたあなたのやさしい笑顔こそが、あらゆる歳月の風雪と悲しみに耐え抜いた、世の中の母親だけに許される笑みだったということにようやく気づきました。

今となっては、この世の中では二度と目にすることのない、あの笑顔なのです。ご機嫌よう。母さん、せめて一度でもいいから、もう一度あなたに会いたいのです。

キム・ビョンジョン・ソウル大学教授(画家、本紙客員論説委員)