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[オピニオン]米国にテロを寝静まらせる能力はあるか

[オピニオン]米国にテロを寝静まらせる能力はあるか

Posted October. 04, 2001 10:07,   

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9月11日のテロが発生する数週間前、カナダのあるテレビ放送局が、米国人が北の隣国についてどれだけ無知であるかを物語る番組を放映した。例えば、ハーバード大とバークレー大の学生を含む、街でインタビューされた米国人たちは、カナダ・サスカチワン地域の捕鯨に強く反対すると話していたが、実はサスカチワンは海のない内陸地方なのだ。

平和と孤立の中で成長した米国の現世代は、理解し難い国際テロリズムが米国を狙っていることにやっと気付いた。米国は、従来の友邦国と新しい友好国の協力を得てこのような挑戦に立ち向かうだろうが、これは相当な犠牲を伴うだけでなく、我々が高貴なものと見なす民主的価値を守り抜いて初めて可能になるだろう。

テロ事件によって米国の姿は永遠に変わってしまった。米国の軍事力と経済力を象徴する建物を攻撃したテロは、米国人が持っている「無敵」の観念を根底から揺さぶってしまった。

米国のリーダーたちは今、怒りと憤りを抑え、敵を振り払うために冷静に計算している。米国人はさらなるテロの可能性を念頭にテロの再発防止に焦点を合わせる一方、韓国人が過去50年間そうしてきたように自らの弱点を克服するすべを学び始めた。私の場合、これからも飛行機に乗り続けるだろうが、生まれて初めて家族のためにガスマスクの購入も考えるようになった。

米国人は、不案内なアフガニスタンの歴史と地理を知るにつれ、自分たちが世界に対していかに無知であり、そのことが自らをどれほどの危険に追いやったかに気付き始めた。テロリストが1993年に行った世界貿易センターに対する最初の爆弾テロが、米国に対する彼らの戦争布告であることを米国人が悟るのに8年もかかった。

今回のテロ事件は、60年前にあった真珠湾攻撃と比較される。米国の現世代は、かつて米国のあるアンカーが「偉大なる世代」と言い表した第2次世界大戦世代のように、後に肯定的に評価されるだろうか。

米国は今回、国家ではなくテロリズムという抽象的概念に対して宣戦布告をした。今や、オサマ・ビンラディン氏が射殺されるか身柄を拘束され、タリバーン政権が崩壊するのは、時間の問題だ。しかし、これは麻薬との戦争のように終わりのない戦いの始まりに過ぎない。我々が望めるベストのものは、テロを抑制することだ。

前例のないこのような新たな脅威は、ブッシュ政権に一方主義的外交政策を諦めさせた。麻薬との戦争同様、米国単独では今回の新しい戦争を起こすことはできない。成功は、他の国々との協力如何にかかっている。

第2次世界大戦当時、米国人は皆、食料や衣服の配給などあらゆる犠牲を強いられた。一方、今回は皮肉なことに、米国政府は、経済低迷に及ぼす影響を払拭する狙いから国民に消費を促している。今回は、物質的窮乏の代わりに民権分野と日常生活で犠牲が伴いそうだ。米政府は近く、査察と尋問の権限を強化する見通しだ。

ホワイトハウスは、国民にイスラムやアラブをテロリズムと同一視しないよう数度にわたり訴えた。殆どの米国人は、米国が宗教間の衝突に巻き込まれたのではなく、ラディカリズムと戦っていることを知っている。先日処刑されたオクラホマシティー連邦庁舎テロ犯が米国人だったという事実は、テロがイスラム特有のものではないことを物語っている。

韓国人と同様米国人も議会の党派争いに疲れているだけに、テロ事件後の超党派的協力は新鮮だった。危機の時には党派主義などありえないのだ。しかし、政府に対する批判を「非米国的」と決め付けるのは、政治的議論を制約することになるだろう。

米国はかつて経験したことのないような新しい挑戦に直面している。不幸なことに、今回の戦争での勝利ははっきりとした形にはならないだろう。米国としては、やむを得ず後退せざるを得ない時も国民と同盟国の支持を維持しつつ米国の価値を守っていくことが大切だ。私は、米国にそうする能力があると信じている。

ピーター・ベック(ワシントン韓国経済研究所局長)



beckdonga@hotmail.com