厳しくなった経済状況を克服するために、政府の規制緩和を求める声が財界を中心に高まっている。財界の論理は、様々な規制が企業の必要な投資を妨げており、その結果、経済回復が遅れているというのだ。経済界は、とりわけ出資総額制限など財閥関連規制の廃止を強く求めている。
諸条件の変化に伴い政府の役割、特に規制者としての役割が見直されるべきであるというのは当然のことであろう。市場中心経済への改革を目指す現時点において、政府の無駄な干渉が排除され反市場的な規制を打破しなければならないということには誰もが共感している。財閥政策もまた、変化する内外の環境に合わせて手を加える必要があるだろう。
しかしながら、最近の困難な経済状況を理由に、声高に唱えられている「規制緩和万能主義」もまた警戒すべき対象だ。規制撤廃を主張する者は、規制は専ら悪いものとみなし、全てを企業の自主性と市場に委ねるのが万能の如く主張する。ところが、経済学の教科書でいう「見えざる手」によって動く、完全な市場は殆ど存在しない。不完全な市場では、各々異なる目的を持った経済主体が、効果的に取引きできるゲームのルールと、さらにルールを違反した場合それに制裁を加えられる主体が必要である。
市場機能を崇拝する「シカゴ学派」の理論に沿って南米各国は、規制緩和と民営化を大々的に試みたことがある。その際、財閥に似た南米の企業集団は、民営化の対象となった銀行を買収して、当該銀行の預金を自らの事業拡充に使用した。その結果、これらの国々は大規模な通貨危機に直面し、結局政府が莫大な公的資金を投入して、事態を解決しなければならなかった。
我々も1998年の通貨危機当時、経済危機を乗越えるために大企業の投資を促すという名分の下、出資総額制限制度を一時廃止した。ところがその結果は、投資活性化を通じての経済回復ではなく、未だに我国の経済に尾を引いている「大宇(デウ)グールプ」の破産であった。
架空の資本創出の主な手段となっている、循環出資を防ぐために導入された出資総額制限制度がなくなると、大宇をはじめ多くの財閥は、負債比率を200%以下に合わせるため系列会社間の循環出資を大規模に行い、架空の資本を創り出した。1997年36%だった5大財閥の系列会社持ち分が、1999年になると48%に増えているのも、この事実を物語っている。このような架空の資本による負債比率の継合わせは、反って財務の健全性を悪化させ、大宇グールプ崩壊に大きな原因を提供した。
規制緩和を求める側は、無条件的な規制緩和よりは反市場的規制と市場を補完・発展させる規制を区分する賢明さを持つべきだ。市場機能を抑制する規制はなくなるべきだが、不完全市場を補う規制、即ちゲームのルールとルール違反者に対する制裁は、市場経済の健全な発展をために不可欠なものだ。
今、議論の争点となっている出資総額制限も同様である。この制度は、財閥の支配構造が正しく確立され、資本市場の経営監視機能が働くとすれば、明らかに市場機能に反する規制でありなくなるべきである。しかし、社外理事制度が強化されるなど支配構造に対する改善がみられるものの、実質的には理事会と資本市場の経営監視機能が脆弱な現実においては、出資総額制限は不完全な市場機能を補完する制度とみなせるのである。
規制緩和と関連したもう一つの重要な争点は、重要な政策上の変化が大きな方向や一貫性を持たないまま、無原則的に行われいるということだ。規制と関連して利害当事者らが声高に訴えれば、政府は合理的な世論の反映と意思決定なしに、拙速で規制内容を変えてしまうといった、情けないことが起きている。このように、一貫性に欠ける政策は現政府が打ち出した改革に対する自己否定とまで認識されており、政府政策に対する信頼性を落としている。
変化した環境にふさわしく政府の役割を見直すことは、反市場的規制は大胆に撤廃し、不完全な市場を補える新たな規則を構想するものであって、原則と方向性を見失ったまま、一貫性のない政策を打ち出すことではないということを肝に名じるべきであろう。
鉠明鉉(チョ・ミョンヒョン)高麗大学教授(経営学)