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義理で一丸となった斗山ベアーズ

Posted October. 27, 2001 10:10,   

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「それでもあいつは先発だね」。

96年9月。新人投手パク・ミョンファンが7月から9月頭までの2カ月間先発登板し、1勝も上げられずに9連敗に陥ると、周りでは「できもしない投手を出しすぎるのでは」という不満の声が聞こえ始めた。しかし、いったん「OK」と判断した選手は最後まで信じるというのが斗山(トゥサン)ベアーズの金寅植(キム・インシク)監督(54)のスタイル。

金監督は「何連敗しようともパク・ミョンファンは先発に使う」とあっさりと言い切った。パク・ミョンファンは9連敗後の9月8日、仁川(インチョン)での現代(ヒョンデ)戦で完封勝ちで金監督の信頼に応え、翌年97年に8勝、98年には14勝を上げ、チームのエースに成長した。

「俺はお前を手放せない。球団に行って自分で言え」。

99年8月。捕手シン・ガプヨンが監督室を訪れた。「監督、どうにかしてください」その言葉の意味は、誰より金監督自身がよく知っていた。他のチームにトレードしてほしいという意味だった。チン・ガプヨンは、97年にOB(現斗山)に入団してから2年間、コーチングスタッフの配慮で主力メンバーに入っていたが、成績は振るわなかった。理由は、出だしが順調でなかったからだ。釜山(プサン)が縁故地のチン・ガプヨンは、ロッテ(プサンのホームチーム)がソン・ミンファンを1位指名したため、やむを得ずOBに入団した時から、心は別のところにあった。チン・ガプヨンが監督に「どうにかしてほしい」と言った2時間後。黙って座っていた金監督は、自分の手ではかわいい弟子を「手放せない」と言った。翌日球団に赴いたチン・ガプヨンは、「半ば脅迫」と「哀願」でついに三星(サムスン)のユニフォームを着た。

その他にも金監督に関するエピソードは数知れない。そのエピソードのほとんどは、選手との義理に関する話だ。義理派の金監督は生まれつきの「ボスタイプ」。人を大事にしているため、自然と監督をしたう人は多い。監督と一度縁を結んだ選手はみな「生涯の師父」としてしたう。金杞泰(キム・ギテ)、キム・ジョンス、李政勳(イ・ジョンフン)ら我こそはという選手が口を揃えて「金監督のもとで一度野球をするのが夢」と言っていたほど。捕手洪性フン(ホン・ソンフン)は、一度ムードに乗れば盛り上がるチームカラーについて「コーチングスタッフと選手、ファンが長い間心をひとつにして築いた結果だと思う」と語る。

サンバンウル・レイダースの初代監督を経て、95年にOBに移籍してから7年間指揮している金監督は、現役の中で最も長い間1つのチームを背負っている監督だ。選手たちの歩き方ひとつ見ただけでも、調子がどうなのか分かるほど選手団をよく把握している。選手たちもまた、金監督が何を望んでいるのか分かる。信じる分だけ報いるのが斗山の野球だ。根気強い熊のように我慢強く最後まで勝負をあきらめない「粘りの野球」。

これがまさに2001年のプロ野球韓国シリーズで強豪サムスンと対決し、予想に反して3勝1敗の危機から転じ、残り3試合(第5戦は27日)で1勝を加えれば待望の韓国シリーズ覇者になる斗山ベアーズの力なのだ。



金相洙 ssoo@donga.com