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[オピニオン]あなたがいて素敵な世界

Posted November. 05, 2001 09:44,   

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私が幼い頃どんな人を夢見ていたのか、うまく思い出せない。おそらく画家か科学者だったようでもあり、それとも小説家だったような気もする。

高校時代には弁護士になりたかった。困った人々を助けられる弁護士、正義の味方になってぬれぎぬを着せられた無実の人々のために熱弁をふるう、そんな弁護士になりたかった。今、私は子どもの頃に夢見た弁護士になっている。しかしながら、あの頃憧れたような、そんな弁護士にはなれなかった。

人ごみに流されながら暮らしていくうちに、幼い頃の夢はいつのまにか、めまぐるしい日常の中に埋もれてしまう。生きることは即ち戦いであり、凄まじい生存競争が繰広げられている世の中とあっては、日々働くことで精一杯と言える。

生きることはこれほど耐え難いもので、世の中はそんなに甘くもない。もう少し率直に言うなれば、幼い頃の夢は記憶の向うに残っているだけで、出世したいという、新たな欲に目が眩んでいたのかもしれない。

ともあれ私は、ひねもす企業の法律問題と取組んだ。如何に企業の財産を取り戻せるか、如何に損害を最少化できるのか、必死に悩んでいた。

ところが、無料の弁論やただで相談に応じることは、ごく僅かな割合にすぎなかった。しかし私は、自分の仕事に最善を尽くしていたし、依頼人の財産を取戻すことも正義だと自らに言い聞かせていた。

「インディアン・サマー」という映画があった。この映画の主人公の弁護士は、自分の所属する法律会社に睨まれながらも、貧しい人々のための国選弁護士の仕事に力を注いだ。彼は正義そのものだ。

この映画のようにロマンチックとは言えないまでも、現実でも正義を守ろうと尽力する先輩や後輩の弁護士は、数多といる。

そのうちの一人は、司法研修員を終了して市民団体の常勤弁護士となった。一般的な弁護士の3分の1にも満たない給料を受取りながら、いつも明るい。彼には、殆どの弁護士に与えられる部屋もないし、机一つでも彼の席は決してみすぼらしい感じがしない。また、運転手付きの車がないため法廷まで電車を利用しながらも、彼の足取りはいつも堂々としている。

私の好きなある後輩は、大金と名誉を保障するとする数々の法律会社の誘いを振り切って、労働事件を専門に扱う小さなオフィスを選択した。彼女のオフィスは、ネクタイ組みよりはジャンパー姿の労働者たちで込み合っている。彼女は、マスコミが注目する大規模な企業の買収合併(M&A)事件や外資誘致事件などを手掛けたことはない。しかし、彼女はいつも幸せそうにみえる。

以前「あなたがいて素敵な世界」という題のテレビ番組があった。素朴で平凡な中でも正しく、そして一生懸命に生きる人々。大きく輝くことこそしないけれども、世の中の塩のような人々の生を映した番組であった。高い官職に就いている人でもなければ、「士や師」の付く職業を持つ人でもなかったが、夢を諦めず、そして暖かいまなざしと心をもって、目立たないながらも隣人を愛する人々の話だった。この人々がいるからこそ、世の中は生き甲斐があり、この人たちがいて本当に素敵な世の中だと思えるような…。

私は昨年、大手法律会社を思い切って辞めた。志をともにする仲間と共同で小さな法律会社を立ち上げた。勿論、今でも私の主たる顧客は企業である。貧しい人々のために思うようにはたくさんの時間を割くことができない。

しかし、私と中間たちは、各自1年に50時間以上は収入と関わりのない、公益活動に時間を充てようと約束している。我々は貧しい人々や無実の人々、そして社会の進歩に向けた公益活動の割合を次第に増やすつもりでいる。そして、公益活動に熱心な新しい法律会社のモデルを作り上げるつもりだ。

今更ながら、幼い頃に描いた生き方を思い出してみる。そして夢を見る。あなたがいて素敵な世界を!誰もが夢を抱く時があった。あなたは何を夢見ただろうか。あなたはどんな人を夢見たのだろうか。あなたがいてこの世は美しく、あなたがいてこの世は生き甲斐があると言えるだろうか。

それは、なにも大袈裟なものではないはずだ。夢を見失わず自らの仕事に最善を尽くして、素朴に分け合って生きるあなたこそ、美しいのである。