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[オピニオン]宮殿が側室たちの権力闘争の場だった…

[オピニオン]宮殿が側室たちの権力闘争の場だった…

Posted November. 12, 2001 09:57,   

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最近のテレビ番組の中で、圧倒的な人気を得ているのが時代劇。「女人天下」や「明成皇后」、「商道」まで加わり、まるで時代劇の全盛期が到来している。このように、時代物のドラマが人気を集めていることについて、歴史を研究する学者の一人として歓迎すべきことであるが、実をいうとその反対なのである。大学の教授までもが時代劇を見て自国の歴史を学ぶといわれる時代の中にあって、これらのドラマがかなりの部分において歴史を歪曲しているからだ。

実際、我々が経験していない時代の出来事を、考証を通して正確に再現するというのは不可能なことといえる。考証できる資料はたまたま残っているものに過ぎず、必要な資料が残っていて、我々の要求に応えてくれるわけではないからだ。そのため、時代劇もドラマである以上、想像力を通じたフィクションで綴られるところが多い。仮想の人物を設定したり、実際は起っていない事件を創り出したり、ドラマに緊張感を与えるために事実を誇張することもある。

ドラマの完成度を高め、興味を引出すためには、そうした仕掛もやむを得ないこととして片づけてしまうこともできるだろう。また、事実を考証するうえで、些細な過ちがあったとしても十分理解できるとしよう。しかし我慢できないのは、その時代像を本来どおり理解できないのはおろか、全く異なった世界に描いているということだ。

とりわけ、その時代の女性たちの権力闘争を描くため、今以上に資本主義的な闘いをさせる一方で、開港前後の風前の灯火のような国の運命を前にして、山積した現実問題を棚に上げ、専ら後継者問題や王の寵愛を得るために、手段を選ばない側室たちの接戦の場を描いているところに至っては、あきれてものも言えないくらいだ。

そうして、いざ国政を率いる主体であるべき王に対する評価は、実際よりも低くなっている。中興之主と評された中宗(チュンジョン、11代)は、短気なおこりっぽい低劣な王に仕立て上げ、亡国の歳月を生きた高宗(コジョン、26代)は、父の大院君(デウォングン、本名は李ハ応)と妃の明成(ミョンソン)皇后の狭間で優柔不断に振舞い「申し訳ない」を連発する、無能な君主に転落している。

もっとも、王に仕える女性なら誰もが、我が子を王にしたいと思わない側室はいないだろう。

しかしながら、それを試みた側室の殆どが歴史の中に消えていった。むしろ、厳しい宮殿生活の中で、静かに自分の身の程をわきまえて後日を期し続けた結果、ついに我が子を王の座にのし上げた7人の側室たち(悪妻のチャン・ヒビンを除いて)の記録は、歴史に残されている。

その、側室たちの眠るところがいわゆる七宮である。時代順に挙げると儲慶宮(チョギョングン) 大嬪宮(デビングン)毓祥宮(ユクサングン)延ホ宮(ヨンホグン)宣禧宮(ソンヒグン)景祐宮(キョンウグン)鄹安宮(ドクアングン)。

儲慶宮は宣祖(ソンゾ、14代)の側室で、孫の仁祖(インゾ、16代)が革命を起こして王位に就いた後、父の定遠君(ジョンウォングン)を元宗(ウォンジョン、追尊王)に追尊して王の母となった、仁嬪(インビン)金氏の位牌を祭った祠である。大嬪宮は、景宗(キョンジョン、20代)の実母の禧嬪(ヒビン)張氏、毓祥宮は英祖(ヨンゾ、21代)の実母の淑嬪(スクビン)崔氏の祠で、二人は肅宗(スクジョン)の側室。

延ホ宮は、眞宗(ジンジョン、追尊王)の実母の靜嬪(ジョンビン)李氏、宣禧宮は後に荘祖(ジャンゾ)に追尊された思悼世子(サドセジャ)の実母の暎嬪(ヨンビン)李氏の祠である。 眞宗 は孝章世子(ヒョジャンセジャ)として夭折したが、 思悼世子の悲劇的な死によって追尊され、正祖(22代)が彼の後を継いだことになっている。二人は英祖の側室である。景祐宮は正祖の側室で、純祖(スンゾ、23代)の実母の綏嬪(スビン)朴氏、鄹安宮は高宗の側室で英親王(ヨンチンワン、旧韓末最後の皇太子)の実母の貴妃(キビ)嚴氏の祠だ。

この七宮は、元来他の所に散在していたのを1908年、古顔格の 毓祥宮の跡地の集められた。日本の統治下に入る間際の時期、その管理が難しくなることを見通した皇室の意図というよりは、皇室の財産を狙った統監府の措置であったと思われる。大統領府青瓦台(チョンワデ)の西にあって雑草だけが生茂り、警備兵たちに「お化けが出る」として遠ざけられていたこの宮が、きれいに改修されて一週間後には一般にまで公開されるというから、近頃稀に見る快事といえよう。1968年、青瓦台の保安を理由に合祀をも辞して毀損、閉鎖された七宮が復元されることになり、文化財の保護という意味でも、この時代を生きる研究者として喉が潤される気分だ。

ただ、この七宮を宗廟(ジョンミョ)や社稷の団とともに祭儀の場であることを明らかにして、その雰囲気を壊さないように努めなければならないだろう。管理者の細心な気遣いはもとより、観覧者の方も歴史を学ぶ教育の場であって、遊びの場所ではないということを念頭に入れておきたいものだ。

チョン・オクジャ(ソウル大 韓国史学科教授、奎章閣館長、本紙客員論説委員)