医療行為の目的が人間の命を救うところにある、ということには異論があるはずがない。これに反する医療行為の正当化には、社会的合意がその前提にならなければならない。こうした点で、大韓医師協会(医協)の医師倫理指針の宣布は性急だったというのが我々の判断だ。
倫理指針で問題視されている項目は、再生不可能な患者に対する治療の中断と堕胎、脳死に関する規定など、この三つを大きく挙げられる。倫理指針は「再生見込みのない患者は家族など代理人が生命維持のための治療の中断や退院を文書で求める場合、医師がこれを受け入れられる」と明記し、消極的な安楽死を事実上認めた。また、法律で認められている例外的な場合でなくても、堕胎を認め、心臓死だけでなく脳死も死の基準に据えた。
現代の医学では救えない患者の生命の延長が患者や家族を苦労させるだけだという医協の立場にも頷けるものはある。さらに、堕胎手術は年に150万件を超えるほど蔓延っているうえ、脳死の認定も無意味な診療を減らさなければならない、という意味と取られる。
しかし明確なのは、この三つの項目は実定法に抵触しているということだ。3年前に妻のお願いで退院させた患者が死亡したことで、担当医は裁判所で殺人罪を言い渡されたことがある。また、母子保健法は五つの場合にしか堕胎を認めておらず、脳死は臓器移植が目的でなければ認められていないのだ。
倫理指針は生命軽視の傾向を煽るということでも、大変心配されている。消極的安楽死は現実的に極貧者など社会的弱者が犠牲になる可能性が高い。極端的な例にはなるが、再生できる患者が経済的負担を気にしている家族のために、十分治療されず、死亡する場合もありうるのだ。また、堕胎を認めると、性モラルがさらに乱れることになって、堕胎がより活発化する悪循環につながるというのが専門家の話だ。
医協は、「倫理指針は最小限のガイドラインで、強制力はない」と発表した。だとしても、医師はこの指針を倫理的物差しに考えることになるようで、こうした場合、いかなる社会的混乱が起こるのか、予想するのは簡単だ。医協が今年4月に指針を作り、今まで発表を見合わせてきた理由もそのためではないのか。
問題の規定は海外でもまだ議論が続いているだけに、敏感な事柄である。医協の主張通り、現実とかけ離れているとしても、だからといって法律に反する指針を正当化するわけにはいかない。医協は指針を強行するより、今でも各界の意見を吸い込んで、社会的合意をなすよう、きちんとした手続きを踏まなければなるまい。