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[オピニオン]国民は疲れきった

Posted December. 04, 2001 09:54,   

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カレンダーが残り一枚となった。野党ハンナラ党の李会昌(イ・フェチャン)総裁は、ロシアとフィンランドの訪問を終え、帰国の途につき「ロシアは吹雪いて寒かった」と語った。韓国も冬だ。日に日に寒さが増し、世間の雰囲気も、たった一枚残ったカレンダーを見るようにわびしい。つらく苦しくても、どこか心を寄せて希望が持てるところがなければならないのに、まったくそんなところは見当たらない。

結局、国民負担となる150兆ウォンの莫大な公的資金が「食べたもの勝ち」と言わんばかりに、あちこちで使い込まれていたにもかかわらず、自ら責任を認める政府官僚は誰一人いない。合同調査団を作るとかいって、泥縄式に騒ぐだけだ。野党が弾劾をもくろむ検察総長は、寧ろ「検察が何の過ちを犯したと言うのか」とすごい剣幕であり、金大中(キム・デジュン)大統領は「(検察総長の国会出席について)大統領が干渉するのは、検察の独立性を侵害することだ」と述べた後、欧州へ発った。国民は、さらに侵害される検察の独立性がまだ残っているのかと思うのだが、大統領は「検察の自主的判断」を強調するのだから、わざと検察総長の肩を持っているかのように国民の目に映らないとも限らない。

事を正せば、このような巨大談論と現実政治の乖離、すなわち大統領の「教科書的なお言葉」と実際状況があまりにもかけ離れたところに、社会的不信と冷笑が蓄積し、それが権力の道徳性危機と合わさることで、心の拠り所を見い出せない精神的恐慌を醸し出したのではなかったのだろうか。地域感情を心配する陰で、要職の地域偏重人事が繰り返される現実、権力機関ごとに「信じられる味方」を選んで植え付ける風土で育った「コネ」と、そこから噴き出る腐敗の悪臭、それこそが国民多数が「国民の政府」に背を向けるようになった根本的原因ではないだろうか。そう考えれば「私的政治」こそが、この政権が当初断ち切っておくべき根深い鎖であった。

遅れ馳せながら強行処理をしないことで退いたが、ハンナラ党が教員定年延長を多数の力で通そうとしたことも、結果は「誤りでした」であった。「政権野党」の勢いを誇示した初の作品としてはどう見ても適格ではなかった。国民の65%が反対し、ひいては現職教師の過半数までも反対する事案であるため「国民優先の政治」とも噛み合わない。

もとより、この政府の教育政策がうまくできているというわけではない。実例を挙げてみよう。26年5ヵ月の間教師を務めたCさん(50・女)は、昨年8月末、名誉退職金6000万ウォンをもらって学校を去った。給料と年金の差を計算すると、後5年勤めるのと同じだ。そのうえ、その頃には名誉退職金が無くなるかも知れない。年金も基金が枯渇して支給が減少するとの噂が流れている。教師を改革の対象のように追い込む雰囲気の中、これ以上教職に留まる意欲もなかった。同年配の女性教師の多くはすでに学校を去った。

99年以降、Cさんのように学校を去った名誉退職者が、定年退職者の3倍に近い数字であることを見れば、今日の教員不足現象は、単に定年縮小のためではなく、教師たちの自尊心と士気を度外視した「傲慢な教育政策」のせいであることは明白だ。しかし、ソウルのある高校のK教師(51・男)は「定年を1年引き上げようが上げまいが、お願いだから教職社会をこれ以上振り回さないでほしい」と語った。別段の実効性もなしに、教師たちの士気を低下させるだけだということだ。

教員定年延長が問題となることで、検察総長の国会出席という「当然の要求」でさえ「巨野の政府錯乱」であると映った。そうするうちに、国民はどちらが正しいかを見極めるに先だち、飽くことのない政争にうんざりしている。最近、様々な世論調査で「次期大統領候補1位」に浮上した李会昌氏は、もはや野党総裁として政府与党を批判して攻撃することに止まっていてはいけない。国民の意を傾聴し、疲れきった国民を包み込む姿を見せなければならない。この国を今後どのように導いてくかの青写真を明らかにして、国民を安心させなければならない。何よりも国民の心の拠り所が必要だ。もし「反DJ(金大統領)感情の反射利益」に寄り掛かって次期政権を獲得しようとするならば、たとえ政権が代わったとしても、この国にいかなる希望があるだろうか。

全津雨(チョン・ジンウ)論説委員



youngji@donga.com