先週、第3回全州(チョンジュ)国際映画祭の準備のため、北京に行ってきた。短い日程だったが、中国の関係者と協議をする過程で、中国映画の現状について話を聞くことができた。
多くの人々が、中国の映画は今過渡期の最中にあって、以前第5世代の監督らが国際的な舞台で見せてくれたような華やかさと豊かさが姿を消し、注目を集める作品も多くないと語っていた。映画産業のシステムが資本主義的に変化を遂げる過程で、一種の低迷期に入った、ということだろうか。
話の焦点は、当然のごとくハリウッドからの映画市場開放に対する圧力をいかに食い止めるかというところに当てられた。韓国の映画関係者が、あれほど厳しい状況の中でもスクリーンクォーター制をしっかりと守り抜き、国内の映画市場での自国映画のシェアを「なんと」40%以上にまで引上げることができたことについて、中国の映画関係者は疑念の一方で感嘆をおぼえていた。
世界貿易機関(WTO)への加盟を受け、中国の映画関係者らが現実的に悩んでいる問題は、非常に多岐にわたっているに見受けられた。もちろん、わずか数人との間で断片的な対話を交わしただけで、果して彼らがどんな問題に直面しており、具体的にどのような代案を見出しているかまでは知ることができなかった。ただ、徐々に映画産業の自主性を生かす方向に向かっているものの、政府の方も簡単には統制の紐を緩めないだろう、ということだけは確かなようだった。
また、制作と配給での民間部門の導入も、かなり慎重な方法で行われているため、急激な変化は起らないだろう、との話も耳にした。
創作の自由を根本的に制限する検閲の問題も、簡単には解決できないだろうとの見通しだった。
しかし「すべては、結局時間が解決してくれるはず」と言った、ある映画監督のことばから、中国人独特の余裕、急がずに時を待つ態度、国際的にその地位が高まりつつある国の、国民としての自信がのぞいていた。
このような話合いの過程を通じて、中国と韓国の映画関係者の間に、単なる物質的な協力だけでなく、真の精神的交流の必要性を痛感した。同時に映画以前の、より根本的な文化的な壁、さらには心理的な壁のようなものも感じた。
単に映画情報の交換や収集だけでは、決して解決できない何かが私の前に立ちはだかっているような、ある種の歯がゆさと無力感であった。通訳を介して話を交わしたためではなさそうだった。言葉の壁のほかに、心の中でそれを遮るもう一つの何かがあったのだ。
私の感じたもどかしさは、中国以外の、ほかの国の人に会った時に感じたものとは、少し違っていた。ほかの外人に会って感じる一般的なもどかしさ、つまり単にコミュニケーションの不便や、互いに相手に対する無知からくる漠然とした思いではなく、何というか、なじんだものと不慣れなものが入り交じっていて、余計によそよそしくて分からない、といった妙な気分だった。
人種的、地理的、文化的に隣人であり、歴史的に長い間近隣関係にあったことから、容易に親しさを覚えられたにもかかわらず、中国人は永遠に理解できない他者でしかないのではなかろうか、という思いがしてならない。
以前に比べ、中国人をより近くで見られるようになったからだろうか。いわゆる「儒教文化圏」や「漢字文化圏」という単語が持つ同質性というものが、全くの虚構であり錯覚ではなかろうか、という感じ、同時に、この半世紀間の理念的そして政治的な断絶が生み出した差異とギャップが、相互理解において決定的な障害として働いており、そしてこれからもそのような状態が続くのではないか、という錯雑した心境に捕らわれたのである。
それもそのはず、私が昨日や今日の中国人について、果して何を知っているというのであろうか。
現在の中国映画と中国の映画関係者らが直面している複雑な状況を、専ら映画に対する情報や知識だけで理解できると、どうして言えるだろうか。相互理解は、映画だけでなく生の全般的な側面においてお互いの異なった点を、その違いを根本的に認識するところから始まるのではなかろうか。
それゆえ、中国人と真の交流をしたいと思うなら、彼らの暮らしの構造と歴史から、私たちと似通ったところの確認だけに止まらず、私たちと違うところを優先して見出そうと努めるべきではなかろうか。同じ東アジア人、という漠然とした考え方は、かえって交流の妨げになり得るということを念頭に置くとするならば…。
崔旻(チェ・ミン)韓国芸術総合学校(映像美学)教授、本紙客員論説委員