東亜(ドンア)日報は、電車の線路に落ちた日本人を救おうとして命を落した李秀賢(イ・スヒョン、写真)氏を「今年の人物」に選定した。李氏は、私たちが忘れかけていた犠牲と勇気の価値を改めて呼び起してくれた。氏の、「義を貫いた死」に日本列島が涙し、数々の「不祥事」にうんざりしていた韓国人は、一筋の希望を見出した。
2001年1月26日の午後7時15分頃、東京の山手線新大久保駅で、日本に留学中の李氏(26・当時、高麗大学貿易学科4年休学中)は、酒に酔った一人の日本人が線路に落ちるのを目撃して自分も線路に飛び降りたが、折しもホームに入ってきた電車を避けることができず、命を落した。
一年を振返り、李氏が短い生涯を閉じた新大久保駅を訪れた。ひときわ多い「電車非常停止ボタン」が目についた。李氏が亡くなった後に取付けられたものだ。氏の死を称える銅板も貼られていた。
日本人は、まだ李氏のことを記憶しているだろうか。銅板の前で、20代の若者をつかまえて聞いてみた。「もちろん憶えてます。誰もができることじゃありません」。30代の女性も「前を通るたびに、銅板に目が行きます」と語っていた。
息子が「今年の人物」に選ばれたという知らせを聞いて、釜山(ブサン)在住の父親の李盛大(イ・ソンデ、62)氏と母親の辛潤賛(シン・ユンチャン、51)氏は、「『立派な大人に育てた』と言われますが、親不孝な息子でも生きていてくれた方がましです…」としながら、目頭を濡らした。
二人は、週2回、釜山市クムジョン区ヨンラク公園墓苑に設けられた息子の墓に足を運ぶ。今なお、哀悼の足が跡を絶たないというのが、大きな慰めとなっている。李氏の墓や生家を直接訪れた日本人も200人余りにのぼる。
李氏の両親は「韓日の架け橋になりたい」とした息子の願いを叶えるために努力している。義援金を集めて、息子の母校の高麗(コリョ)大学と釜山ネソン高校に、1億ウォンの奨学金を寄託した。息子の1周忌に合せて、日本で発足する「李秀賢奨学金」にも、1億ウォンを寄託する予定だ。
李氏の、義を貫いた死は、新年から中学2年の道徳教科書にも掲載され、後輩たちに「義人として生きること」の、真の意味を聞かせてくれることだろう。
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