今年は、国内外において、ひときわ多くの事柄が持越された一年であろう。昨年発生した「同時多発テロ」を機に、世界的に政治、経済、軍事、文化の各分野において「米国至上主義」の嵐が吹寄せるものと予想されるうえ、米国のブッシュ大統領が、よりによって今年を「戦争の年」と言及していることも隅に置けない。
国内に目を向けると、数兆ウォン規模の健康保険財政問題、賛否両論が鋭く対立している教員定年問題、企業の統合と改革の問題、政治改革など、今年に持越された難題が数多くある。どれも金大中(キム・デジュン)政権が発足して以来、改革という名のもとに始まった事柄で、今となっては、どうしようもないほど複雑にこじれてしまい、国家運営の大きな負担となってしまっている。今年(壬午年)は、歴史的にみて苦い記録も持っている。120年前(1882年)の高宗(コジョン、朝鮮26代王)の在位中、処遇の改善を求める軍人が乱を起こした壬午軍乱によって結局、国権をなくすきっかけとなったチェムルポ条約(済物浦条約、日韓の講和条約)が締結され、さらにその120年前(1762年)には、英租(ヨンジョ、朝鮮21代王)が王子の思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めて死なせた、壬午獄が起きている。
ともあれ、今年韓国の争点は、断然12月19日の、第16代大統領選挙に違いない。大統領選挙に関連して、韓国には、ほかの国ではなかなか見られない不思議な現象がある。それは「政治ロンダリング」である。大統領選挙で勝利した瞬間、追随勢力の喚声が飛び交う中で、当選者に対する徹底した政治的形成手術が行われる。成長過程、学歴、社会的経歴、政治的言動と軌跡、そして歴史観など、何もかもが一瞬にして脱色、変色、美化されるのだ。政経ゆ着による政治資金の授受といった、かつてのじめじめした、人に明かしたくないすべてが伏せられる。大統領の権威と威厳のためとあっては、恐れ多くも口を挟もうとする者はいなかったはずだ。
こうして始まった人為的な潤色は、任期中を通して続けられることになる。この過程で、側近やら家臣やらといった、中心的な追随勢力がばっこしてくるもので、後日、ぼっ発することになる権力型不祥事の巨大なつながりも、この時から固まり始める。龍飛御天歌(ヨンビオチョンガ、朝鮮世宗時に作られた楽章)のように、次々と創られる楽譜は、一人間の実態を糊塗し、すべてを誇大包装してしまう。しまいには、当選者は、全知全能の自己催眠に陥り、その頃には不畏の権力だけが目に入りがちになる。さらに、国政の運営を、報復と施しに単純化させる誘惑も受けるようになる。国民の感覚を鈍らせ、ゆがめさせるという意味で「政治ロンダリング」は「マネーロンダリング」よりはるかに恐ろしい。
権力の凝集現象が続けられる中、周りでは当選者の言動一つ一つに対し、早くも大統領の権威を与えようと、数々の手段を動員する。自分たちの威勢もついでに高めようという魂胆であろうが、結果的に、後々大統領のリーダーシップを駄目にしてしまうというのも、よく知っている。
ところが、リーダーシップの資質というのは、覆い隠せるものではない。「政治ロンダリング」は、就任式前後に、主に2ヵ月間に行われる。一つの政権の行路が、その時すでに決まってしまうということだ。
韓国での選挙で、もう一つ奇異な現象は、同じルーツを持つ派閥の候補が自らの政治的ゴッドファーザーを、俗にいう「ばとう」する場面がたびたび見られることだ。なぜ「私を踏みつけて行きなさい」という言葉が出るのだろうか。それは、政策的失敗であれ、権力型不祥事であれ、人事乱脈であれ、何かしら問題があったということを、政権自らが認めているということではなかろうか。「政治ロンダリング」を行なっているものの、結局、リーダーシップの問題が明らかになったということを、間接的に言いつくろった表現である。
軍事政権の大統領は言うまでもないが、文民政府、国民の政府とて変わらないものがある。それは、帝王のように君臨する大統領である。国民の心を動かした大統領が果して何人いただろうか。民政の視察を怠らずに工場訪問を多くしたからといって、国民に慕われる大統領なのではない。むしろ大統領行事のわずらわしさが、彼らを辛くすることもあり得る。大統領は、任期中、国政運営に役立たせてもらうため、強い権限とともに、重大な責任を委譲されているわけだが、就任の瞬間から責任は隅に置かれて、権力のみ集中される。だから国民から遠ざかるのだ。君臨する帝王のような大統領になったのも、元をたどれば「政治ロンダリング」の後遺症から来ているのではなかろうか。
我々は「政治ロンダリング」を拒否できる、勇気ある人を探している。「己だけがすべてを解決できる」として、伏せたり覆い隠したりの占領軍司令官ではなく、弱みや足りないところも率直にオープンできる人物でなければならない。頭の痛い課題が多い今年、理想の大統領を選べるというのは、何よりの慰めである。くどいようだが、政権の運命は、政権構成の初期に決まってくる。生涯を生きる知恵を幼稚園の頃にすべてマスターする、という話もある。最初のボタンをどのようにとめる候補なのか見極めながら、今年の大統領選挙を見守ろうとしよう。
崔圭徹(チェ・ギュチョル)論説室長
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