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李奉昌義士の裁判記録、日本最高裁から入手

李奉昌義士の裁判記録、日本最高裁から入手

Posted January. 08, 2002 09:07,   

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1932年、爆弾で日本の天皇の暗殺を図り、捕えられた李奉昌(イ・ボンチャン)義士に対する日本の最高裁判所の尋問・裁判記録が、壇国(ダングク)大学の李奉昌義士奨学会(張忠植会長)によって発掘され、翻訳作業が進められていることが7日、明らかになった。

李義士事件は、明治刑法(1880〜1947)によって、大逆罪に分類された4件の事件のうちの一つで、最高裁判所で一審制として処理されているが、大逆罪関連の記録が公開されたのは今回が初めて。李奉昌義士奨学会は、2000年11月の設立以来、日本の最高裁判所に対し資料の閲覧を要求し続けたところ、最高裁判所は昨年5月「研究用としてのみ用いる」という条件付きで、関連資料のコピーを許した。今回入手された資料は△予備尋問調書△検証調書△裁判長意見書△公判調書△成長過程と独立運動への献身経緯を書いた李義士の獄中手記(上申書)▲李義士の指紋▲逮捕直後の写真▲押収目録▲金九(キム・ク、独立運動家)から送られた電報など、合せて306ページに及んでいる。

これらの記録によると、李義士は、当初知られていたのと違って、1932年1月8日、東京の桜田門外の閲兵式に参加していた裕仁天皇(昭和天皇)に向けて、準備していた二つの手榴弾のうち一つしか投げておらず、日本人も李義士を好意的に評価したという事実などが、新たに確認された。これらの記録と資料は、32歳の独身で殉職したため研究資料がほとんどなかった李義士の生涯と義挙の全容を明らかにする上で、きわめて重要な役割を果すことになりそうだ。

李義士に対する裁判記録と獄中手記の一部は、94年に韓日近代史研究家の崔書勉(チェ・ソミョン)国際韓国研究院長が、日本の最高裁判所で個人的に発掘したもので、その内容が東亜(ドンア)日報(99年12月15〜17日付)に単独掲載されている。

奨学会は、今回入手した資料を単行本にして、李義士が殉国した10月10日ごろ、研究機関などに配布する予定だ。



ksshim@donga.com