壬午年の年が明けた。今日上った日が昨日のそれと異なるわけではないが、異なると感じ、変わらなければならないと思う性情は、人間だけのものであろう。壬午年は辛巳年とは違っていなければならない。直進の末に、停滞と誹謗とUターンを繰り返していた辛巳年の悪夢から脱出しなければならない。二度の選挙と二度の世界的なイベントを予定している今年のパノラマは、国際通貨基金(IMF)の管理体制下でよろめいていた韓国が跳躍の波に乗れるかどうかを決定する契機となるからだ。
人生において、変身の機会はただ2、3回しかまわってこない。人はよく失敗は成功の母だと言うが、失敗をよくした人は、成功の道から遠ざかるのが常である。それも決定的な契機に失敗すれば、再び立ち上がるのは非常に困難だ。
人々の意識は老年になっても引き続き成長すると言うが、意識は20代の時に成熟し、その状態が老年まで続くというのが最近私が切に感じていることだ。智恵もそうだし、他人に対する理解もそうだ。覚せいの機会を逃せば、修養の域を脱することはできない。
社会も同じことだ。韓国社会は何年かの周期で変身の機会が与えられてきた。市民の力で権力主義を倒した1987年がそうであったし、民間政府を華やかに発足させた1993年と、バブルがはじけて厳しい現実に直面しなければならなかった1998年がそうであった。
そんな契機を通じて、私たちは韓国社会の様子がさらに洗練され、端正になったことを目にすることができる。停滞、ひぼう、回帰を何度も繰り返しても、15年前とは質の面で成熟した気味を感じ取ることができる。
「やればできる」と猪突猛進していた側面が合理性と現実感というろ過器にかけられたし、開発時代の一糸の乱れも見られなかった動員体制が、市民社会の多様な空間で分散吸収されたし、グローバル・スタンダードの攻勢の前で、大切に抱え込んでばかりいた自分のものをあきらめることもできるようになった。
2002年は、こうした試行錯誤に終止符を打たなければならない年だ。学習と覚せいのプロセスは、1987年からの15年だけでもう充分である。私たちの心と頭の中を駆け巡っていた過去の歳月が「なくした15年」と呼ばれないためには、もう具体的な変身のプログラムを作らなければならない。
壬午年は私たちに変身の契機を、21世紀の国際社会で韓国の位置づけに変化をもたせる、何か特別なことを予告している。
歴史的に急激な跳躍を促す要因は、比較的に単純だ。英国を世界の中心国家にのし上げたのは蒸気機関と鉄道だった。船と鉄道で英国は、貿易の相手を捜し求め、広い市場を確保した。
けたたましい汽笛に呼び起こされたヨーロッパの後進国、ドイツの貴族階級であるユンカー階級は、遅れて産業前線に飛び込むが、英国を倒すだけの兵器をすぐに考え出した。英語にこだわっていた英国と違って、貿易相手国の言語で取り引きを成功させるという人文学的な智恵がそれである。官僚とともに民間専門家が貿易前線に乗り出したのだが、まさにこの一つの革新でドイツは英国の市場を蚕食した。
続いて米国は科学的なマネージメントで、ドイツを制圧するようになった。米国が最高性能の潜望鏡を作り出すのに、少なくとも5年はかかるだろうと判断していたヒトラーの計算には科学的なマネージメントが入っていない。日本は固有の制度的な資産を活用して、強大国に合流した。ところが、時代の変化に適応する柔軟性の欠如で動揺している。
欧州の強小国は、けっして主導権争いに乗り出さない。それが花の市場であれ、金融や仲介業であれ、一つの主要特技を浮き彫りにさせて一流国家のグループに音もなく静かに合流するのに成功した。
世界会議と世界機構を誘致すること、いわばコンベンション国家(会議場国家)として一流国家入りした国を見よ。どんなに奇抜な発想なのか。
英国には技術、ドイツには知識、米国には科学的なマネージメント、日本には制度があったとすれば、韓国には活力がある。活力がどれだけ跳躍の資源になりうるのか、と回疑心を持つ人もいるだろうが、壬午年を変身の年にする格別なエネルギーがその中に潜んでいると私は信じていたい。
過去の数世紀もの間、世界のどの国も経験しなかった波乱万丈な逆境を経験しながらも、これだけの活気を保っている国がどれだけあるか、を考えてみよ。
筆者はそれを「活力の世界化」と呼びたいところなのだが、今年行われる2つのイベントと2つの選挙がその特別な契機になることを期待したい。
宋虎根(ソン・ホグン)ソウル大学社会学教授