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[オピニオン]君主は民の「月」なのに

Posted January. 21, 2002 09:41,   

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この頃、テレビ時代劇の主人公である、王建(高麗の建国者、877〜913)、明成皇后(閔妃、1851〜1895)、文定王后(1501〜1565)の人気が高まっている。皆、一時代を動かした人物だ。それゆえ人気を博しているようだ。一般の韓国人の統治者に対する期待心理をうかがわせる。

ところで、今日の韓国の統治者たちは、それとは逆に人気が最悪のようだ。なぜだろう。

近代以前の統治者たちも、最近のテレビ時代劇での高い人気とは異なり、実際には当代では人気がなかったのだろうか。必ずしもそうではなかった。

文定王后は、息子であり王である明宗を世間一般の母親が子どもを扱うように扱ったとして批判されるが、王建の場合は、すべての人が分かるように透明に税金を取らなければならないという「取民有道」ということばを実践して人気を集めた。東洋で尊重されてきた「徳による政治」即ち「徳治」を実践したというわけだ。

「徳治」は、「民を法令で引導し、風俗を刑罰で制すれば、民が法の網を潜り抜けてもその羞恥心を感じなくなる」という孔子のことばによく現れている。法の条文ばかり強調すれば、法の規定から外れる多くの道徳規範が無視されるという意味だ。

孟子は人を人らしくする「道徳」に、恥を知るという「正義」を加えて、「仁義」にもとづく王道政治を提唱した。

朱子は「自身を道徳と正義で修養した者だけが人を治めることができる」という「修己治人」の政治論に、すべての事は正しい名分を持たなければならないという「正名論」を付け加えた。

士大夫はまず「大人」でなくてはいけない。地位が高いとか、年を重ねているからといって大人なのではない。真の大人は、道徳君子の体験を示せる人だ。

それより上の大人は、世の道理を説明する聖人の体験を示す人だ。

また、それより上の大人は、民の体験を説明することで天の志を示す人だ。

真の大人に関する話は、朝鮮王朝9代王の成宗時代のエピソードによく現れている。

成宗が病気になると、母親の王大妃が、儒教教育の最高機関である成均館の中でムーダン(シャーマン)に祭祀を行わせて治るように祈願した。その時勉強していたある成均館の儒者が群れを率いて来てムーダンを鞭で打って追い出した。王大妃が憤って王の病気が治った後に王に告げると、王はその儒者に罰をくだす代わりに特別に酒を与えた。誰が真の大人なのか。王室の大人である王大妃ではなく、一介の儒者である李穆(イ・モク)が大人であるというのだ。

鄭若饁は、長兄の若銓について「卑しい漁夫や卑しい人たちとも仲間になり親しく付き合いごう慢な態度を取らなかったため、島民たちは喜び、自分の家に引き止めたがった」と記している。

士大夫でない統治者の場合はどうであろう。「朝鮮王朝実録」に出てくるある王の評価の中に「王は(周りの臣下たちにばかり恩恵を施して)一般の民には施したものはないが、一般の民はそれでも王の死を悲しんだ」という件がある。この王は統治者だが、決して大人ではなかったという評価だ。

一方、立派な大人として認められた正祖は、「聖人の中の聖人」と記録されている。「統治者も民と同じ血を分けている」という意味が込められた「同胞」論を好み、これを実践したからだ。

正祖は晩年に「君主は1万の川を照らす明るい月だ」と言った。即ち、君主はすべての川の水に映る月の光のような父であり、すべての人を自分と同じ血筋と考える師匠である、という統治者論だった。正祖の深い知遇を受けた鄭若饁が「統治者は下から崇められ上から選ばれた」と「湯論」に書いたのは、決して偶然ではなかった。まさに徳治の要諦だ。

今我々の社会には統合の「政治」はなく、無理に押し進めればそれでいいという「統治」があるのみだ。これは、植民地時代以来の浅はかな政治論だ。

これは、政治は道徳と正義ではなく力だという主張に他ならない。しかし、道徳、正義、名分を重んじる徳治の伝統の中には、価値、影響力、共同体意識、共存志向など、今日我々にとって重要な徳目が含まれている。

急変する時期の政治とは、一時代の常識を超えて現実を把握する能力も求められる。

それゆえ我々は、伝統社会において徳治で実現しようとした「立派な大人としての政治家」という考え方を、実利的な意味で、今の現実に適用させる必要があるのではないだろうか。

朴光用(パク・クァンヨン)カトリック大学教授(国史学)