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[オピニオン]「党権」と「大権」さえ分離すればいいのか

[オピニオン]「党権」と「大権」さえ分離すればいいのか

Posted January. 28, 2002 09:30,   

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韓国の権威主義的な大統領を「帝王的大統領」と言えば、決まって反発していた与党が、最終的に誤りを認め、大統領候補選びを前に「党権」(党代表)と、「大権」(大統領)の分離を宣言した。「党権」と「大権」を分離することで、帝王的大統領制を克服できるというのだ。与党が、このような態度に出るや、野党もそろって「党権」と「大権」の分離をかかげている。もはや皆が、韓国の大統領が、民主的な大統領ではない権威主義的大統領であると認識したようだ。

ところが問題は、政界で論議される「党権」と「大権」の分離が、果たして権威主義的政治と帝王的大統領の問題を解決できるのかという点である。政党の権力と大統領の権力を分離するという発想には、深い意味がひそんでいる。まず、憲法機関である大統領が、これまで政党の権力を掌握していたことが、国政運営や政治の発展に深刻な障害になっていたという点や、国家機関でもない政党が、国政運営にかなりの威力を発揮してきたという点を是認することを意味する。

韓国憲法には、国会、行政、司法が権力分立の原則によって分離されており、互いにけん制するようになっている。にもかかわらず、大統領が帝王として君臨することは、国民が定めた憲法に矛盾することを意味し、大統領を前近代的な帝王に君臨させた強力な現実的要因が、存在するという証しでもある。国会が国会の機能を果たさず、国会議員が国民の代表というよりは、大統領や党首の影響を受けざるを得ない何かがあるために、現実に権力は大統領に統合され、君主国家のように大統領が国政全般を主導したのである。このような絶対的な大統領制において、大統領の失敗はすぐに国民の苦痛となる。韓国国民が、これまで身に染みて体験してきたことだ。

憲法で権力分立が明記されているにもかかわらず、現にこのような権力集中が生まれる最も大きな問題は、韓国の政党である。ボスの子分や忠僕で形成された朋党(朝鮮時代の政党)の性格を帯びた封建的集団が、まさに国会を無力化させ、国会議員を国民の代表から大統領の下僕へと転落させた。大統領は、政党のボスや地域の盟主として、地域主義や公認権という武器を振りかざして、国会議員を部下にし、野党の党首もまた、このような構造で国会議員を自分の部下にしたのである。与野党の政権交替が実現しても、権威主義的な帝王的統治が、そのまま温存した理由である。

今日の帝王的大統領制は、根本的に、朋党的政党の介入で国会が無力化し、国会議員が政党や大統領の下僕に成り下がり、権力統制が十分でなかったことに起因するだけに、国会を正常化させることが第一の手順である。そのためには、政党の改革から始めなければならない。政党の権力化や政治の硬直化の主な病因である中央党中心の構造を改革し、中央党を廃止すれば、国会議員各自が、国民の代表である重みを肝に銘じて活動し、国民の代表としての機能も果たし、国庫補助金の問題やばく大な政治資金の問題も解決できる。政治腐敗も自然に減少する。国会議員は、国会で院内交渉団体を中心に政党活動をするようになり、国会は正常化して、その地位も向上する。政界のボスも必要ない。ただ国会議員として国民を相手に政治をすればいいのだ。

大統領が、政党のボスになれないことは、国政の正常な運営という面で当然のことであり、現在の「党権」と「大権」の分離論の結論ではない。したがって、現在の韓国の政治改革の主なターゲットは、政党でなければならないのだ。

ところが、現在の政界の「党権」と「大権」の分離論は、大統領が党の権力を掌握できないようにするだけで、政治発展の最も大きな障害物である前近代的政党は存続し、政党権力の掌握をめざす競争は繰り返される。「徒党」政治の本拠地である政党を存続させたままで、公認権を掌握して、さらなる帝王として君臨する政党のボスを狙う権力闘争が温存する限り、国会議員は、依然として政党ボスの下僕に成り下がるしかなく、国会は国民の代表が集まった民意の殿堂というよりは、徒党を組んだ政治家の行楽の場に過ぎなくなる。

したがって、「党権」と「大権」分離論は、政党の矛盾構造を温存させ、民主化の戦略とは程遠く、政界の赤裸々な権力闘争に過ぎないのである。帝王的大統領制を克服する一次的課題は、国会の正常化と前近代的な政党を排することにある。根本的な問題はさておき「党権」と「大権」の分離が、まるで権威主義的統治をすべて克服できるかのようにとらえることは、再び世論を操作して、国民を欺まんすることなのだ。

鄭宗燮(チョン・ジョンソプ)ソウル大教授(憲法学)