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[書評]数学の天才…狂喜…絶望…そしてノーベル賞

[書評]数学の天才…狂喜…絶望…そしてノーベル賞

Posted February. 03, 2002 01:57,   

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「誰よりも冷たく、荒荒しく、ちゅうちょすることを知らず、人がどう考えようと恐れない。尊敬と体面を追求する美徳、即ちわがままの美徳と言えるすべてのものが欠けている。彼は先頭に立つことができないなら、一人で行く。自分に向って話す時でなければ、仮面をかぶる。彼の内面には賞賛することも非難することもできない孤独が巣くう。

フリードリッヒ・ニーチェが「権力への意志」で言った「偉大な人(超人)」は、20世紀の偉大な数学者ジョン・フォーブス・ナッシュ(74)のことをずばり言い当てている。もし、ニーチェがナッシュに関する本を読んだならば、「超人」を喜んで「美しい精神(A Beautiful Mind)」と書き換えただろう。

20代に数多くの業績を成し遂げた数学の天才、30代に襲った激しい精神分裂症、その後30年間の自己分裂と挫折、そして奇跡的回復とノーベル経済学賞の受賞…天国と地獄を何度も行き来した人間のヒューマンドラマは、1998年ニューヨークタイムズ記者が書いたこの本を通して初めて世に知られた。

この本が伝える感動は、ハリウッドを動かしても余りある。22日、国内封切り間近の話題の映画「ビューティフル・マインド」は、ラッセル・クロウら一流俳優たちがすばらしい演技力でナッシュの人生を描いた映画だ。

実際、人生は時には映画よりドラマチックなものだ。ナッシュが精神分裂症を克服する部分だけを取り出して想像力で脚色した映画に比べ、この評伝の与える感動は何倍も豊かだ。しかし昨年7月、「美しい精神」という題名で国内で翻訳出版され時、わずか3000余人の見る目のある読者がこの本を手に取ったに過ぎなかった。

実際、ナッシュは映画で描かれたように授業も聞かず、本も読まないで「いつも多数の意見に反対し、自ら知的かけをした」変人天才だった。空の紙コップを口にくわえてはかんでいた彼は、「うぬぼれだらけのはじかれ者」で、論争で負けると、すねていた。つまはじきは、天才である彼が払わなければならない代価だった。

しかし映画のナッシュは、実際のナッシュの姿からかなり外れている。特に彼が狂喜にとりつかれた原因が旧ソ連の暗号を解読したことで得た冷戦の恐怖であるとしている点がそうだ。この本によると、彼はずばぬけた暗号解読者ではなく、政府の秘密プロジェクトに直接関与したという証拠もない。幼年期から仲間はずれにされていたこと、父親の死、ノーベル数学賞と呼ばれるフィールズメダルを受賞できなかったという劣等感、そして朝鮮戦争に徴兵されるかもしれないという不安などが組み合わさった結果だ。

白髪の老人になってからやっと光明を見たナッシュは、今何をしているだろうか。「40歳を過ぎて新しい理論を発表した数学者はいない」という事実を反証するかのように、弁当持参で母校プリンストン大学の図書館で研究を続けているそうだ。まだまだ研究すべきことが多いと、大金を出して彼の全集を出版したいという大学出版社の提案も断った。

「美しい精神」とは何だろう。それは非凡な頭脳ではなく、自分の限界を自ら克服しようという意志に宿るということをこの本は小声で教えてくれる。「人間は自分自身を支配する力より大きな支配力も小さな支配力も持てない存在だ」というレオナルド・ダビンチのことばを胸に刻むべきだ。

シン・ヒョンヨン外訳/原題「A Beautiful Mind」(1998)/ビューティフル・マインド/シルビア・ネイザー(Sylvia Nassar)著



尹正勳 digana@donga.com