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[オピニオン]平等意識と貴族学校

Posted February. 26, 2002 10:20,   

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ソウルの江南(カンナム)地域とともに、高学歴の中産階級が多く住んでいる首都圏の盆唐(ブンダン)および一山(イルサン)において、教育開発院が2000年10月に施行した世論調査では、高校平準化に対する支持率が70%をやや上回っていた。教育当局はこの世論調査を基に、首都圏内の新都市に平準化を拡大して、新興名門とされる盆唐ソヒョン高と一山のべクソク高に、今年3月には初めて試験を受けずにコンピューターで配置が決まった新入生が入学する。

教育人的資源部(教育部)は、平準化を維持する主な論拠として世論調査の結果を提示しているが、70%の多数が合意したからといって、必ずしも成功した教育政策とは言えない。盆唐、一山の平準化支持率は、非名門高に通う子どもを持つ父兄の割合と概ね一致している。

韓国経済のシンクタンクとも言える韓国開発研究院(KDI)が「ビジョン2011」と題した報告書を通じて、高校平準化制度の全面的な見直し策を提示したことで、議論が熱気をおびてきた。KDI案の骨子は、私立校に生徒を選抜する権利を返すことで、余裕階層の需要を解消する一方、政府財政を公立校に集中的に投資するという内容。

米国、英国、日本の私立校は、生徒の選抜、授業料の策定など学校の運営と関連して、政府の干渉を一切受けていない。授業料は高いが教育の質に優れており、名門大学への進学率も高い。

日本は、私立校の授業料が公立に比べ8倍ほど高い。米国でも、年間の授業料が平均2万〜3万ドル程度であるため、余裕階層の生徒しか入学できない。

韓国人の考え方の中に深く根づいている平等意識が、こうした貴族学校を容認しないばかりか、私立高校の割合がこれらの国々に比べ遥かに高いことから、全ての私立校を平準化の枠内に含めるのは、現実的に困難な側面がある。私立校の割合が、米国は10〜13%、英国と日本は10%前後となっている。韓国は、私立校の割合が47%と、ほぼ5割が私立校となっている。

経済協力開発機構(OECD)加盟国では最下位に位置づけられるほど教育への投資を怠ってきたのに、教育に関わる全ての問題の責任を平準化に押し付けるのも、一種の魔女狩りと言える。選択が、一挙に問題を解決してくれるだろうする見方は、市場万博蜍`的な観点である。市場の失敗というものもあれば、完全な選択が保障される市場は、どこにも存在しない。

平準化以前の高校入試は、中学校での正常的な教育が不可能性くらいまで過熱していた。平準化を導入した28年前と、時代的な状況が変っているとは言え、当時の教育現場における問題が、今の時点で全て解消しているとは言い難い。

KDIの見解が、このように過渡な単純化の欠陥を持っているにもかかわらず、経済の論理に基づいたいくつかの観点は、教育当局で傾聴する価値がある。極度に選択を制限する共産主義のやり方は、必然的に下方平準化をもたらさざるをえない。経済も教育も、その点においては同じだ。

質の高い学校教育に対する需要が厳然として存在しているにもかかわらず、国内では供給が行われないために、離散家族になる苦痛を覚悟の上で子どもを外国に留学させているのである。この私教育費として流失する莫大な財源を公教育の方に引き寄せ、早期留学のために流出するドルを食い止められれば、自律型私立校であれ貴族学校であれ、名前はとにかく一旦つくってみるだけの価値はある。10校で足りなければ、需要に合わせて100校ほどつくることもできるだろう。このような学校は100%需要者が負担することにし、政府財政の余裕分を公立校に廻せば、一般庶民たちがその恩恵に預かることができる。

教育部は、自立型私立校を拡大して平準化制度を補っていく計画だとしているが、今年から自立型私立校として運営される高校は、全国でたった3校だけだ。そのうえ、いずれも非平準化地域において、すでに独自的に生徒を選抜していた学校だ。来年はやっと2校が増える予定だ。何ともあきれた進捗度だ。この調子でいけば、自立型私立校が市郡区ごとに2〜3校というくらいになるのは、何時のことやら…。

教育部に、平準化に関わる一貫した原則があるとは言い難い。教育部は、平準化が施行された28年の間、平準化の縮小と拡大を繰り返した。住民の世論が支持しているからといって、首都圏内の新都市における高校入試を廃止したあげく、学校の配置すらろくにできず騒動を引き起こしている。教育部長官4年間で7人も入れ替わる始末だから、長官が所信を持って政策を実行に移すだけの時間的余裕がない。自立型私立校政策を進めていた長官は、ソウル市教育庁の反対で、躊躇している間にほどなくして更迭された。

「ビジョン2011」報告書の指摘どおり、知識情報化時代における経済、社会発展の原動力は、人的資本である。人的資本の量と質によって、国の競争力と暮らしの質が左右される。産業化時代に作られた、画一的かつ硬直した教育制度の枠から抜け出さなければ、人的資本の質の面での競争力の確保は難しくなる。ここで、再び躊躇していては、10年という歳月があっという間に経ってしまうことだろう。

黄鎬澤(ファン・ホテク)論説委員



hthwang@donga.com