Go to contents

[社説]親日派はだれだ

Posted March. 02, 2002 10:30,   

한국어

一部の進歩的な国会議員らによる任意の集りの「民族の精気を立てる議員の集い」(会長:民主党金希宣議員)が「親日反民族者」のリストに、光復会(クァンボクフェ、会長:ユン・ギョンビン)が載せていない一部の人士らを追加して掲載したことで、物議をかもしている。

日本による植民地時代の35年間の親日の名残りを清算して、民族の精気を具現するということについては、だれも反対しないだろう。ところが、そのようなことは、最大限度の国民的合意と同意をもとにして行われなければならない。何人かの国会議員が集って、それも厳然たる反対意見があるにもかかわらず、せっせと決めつけたり規定づけられるものではない。私たちは「民族精気の集い」が、学界や関係者間の十分な論議も経ずに、なぜこの時点でそんなに大急ぎでリストを発表したのか、さらに光復会が選定していない人士までも「親日反民族者」と規定したのか、皆目分からない。この作業に参加した議員や専門家の中には「民族精気の集い」の発表に、異見を持つ者もいる。

植民地下の35年間、暴政の下で生きていると、だれもがう余曲折を経ずにはいられなかったはずだ。生計のためには、植民地政府(日帝)の官僚組織に身を置いたり、戦場に駆り出され天皇万歳を唱えなけれならなかった。現在、わが国の指導者的立場にいる人物の中にも、日本の軍国主義に忠誠を誓った人がかなりの数に上る。日帝末期、姓を変えて(創氏改名)行方がわからなくなっていた人もいる。したがって、真剣に親日反民族行為を見極めようものなら、功と過ちを正確に測って見積もることが何よりも肝心である。

独立運動に参加した人士らが中心となった反民族行為特別調査委員会(反民特委)では48、49年に、そのような原則にもとづいて、すでに「親日反民族者」リストを作成して発表したことがある。彼らは、同じ時期に独立運動に身を投じていた人たちであっただけに、だれよりも親日の軽重を正確に測ることができたはずである。光復会でも、実際に独立運動にかかわっていた人士らの見方が正しいとの判断のもと、当時の親日派選定基準をそのまま適用してリストを作成したという。それでも、メンバーのほとんどが若い世代である「民族精気の集い」の議員たちは、光復会の意見まで無視して、反民特委リストにも載っていない一部の人士を「親日反民族者」と断定した。「民族精気の集い」が、いくら3・1節

(サムイルチョル、1919年3月1日を機に起こった全国的な独立万歳運動を記念した祝日)にちなんでのこととはいえ、これほど一方的に急いで発表したのには、何かの思惑があるのではないかと疑わしくなる。

心から民族の精気を立てようと思うなら、より広範囲な意見の収れんと検討作業が伴わなければならない。一部人士らの偏見やなんらかの感情的な判断によって、し意的に「親日反民族主義者」という物差しを突きつけるとすれば、それ自体むしろ歴史をわい曲することになりかねない。