1990年1月11日に大統領府で行われた当時の盧泰愚(ノ・テウ)元大統領と野党平民党の金大中(キム・デジュン)総裁との党首脳会談後に発表された報道文には、次のようなことが書かれている。「政府は日海(イルヘ)財団の資金を有益に使用する案を速やかに設ける」。
その後、政府は日海財団を全斗煥(ジョン・ドゥファン)元大統領の影響力から完全に切り離す一連の作業の末に、世宗(セジョン)研究所という民間公益研究機関に変身させた。大統領府での会合で当時の金総裁が日海財団に関連して、どのように主張したのかは発表文には書かれていないが、当時日海財団は「第五共和国の不正の象徴」だとして、平民党を含めた野党から解体の圧力を受けていた。
軍事政権時代の日海財団のような害悪を擁護する考えはまったくない。しかし当時の日海財団が収わいや権力の私物化、もしくは政府要職への人事介入などのような不正が犯されたという記録はない。当時の野党はそんな不正よりは、「軍出身の独裁者が権力を悪用して、財閥から資金を集めたこと」が不快だったし、「阿房宮(あぼうきゅう)のような建物を建てて、退任後に財団を通じて『摂政政治』をする可能性」を恐れて、解体を要求したのかも知れない。
ともかく、日海財団をこのように全元大統領から切り離したことに一翼を担った当時の野党だった金大中総裁がその後設立したのがアジア太平洋平和財団(亜太財団)だ。歴史は繰り返されるというが、そんな亜太財団が最近、世論のまな板にあがり、非難される強度もイルヘ財団より決して弱くない。
金大中大統領が任期中に80億ウォンを投入して、1500坪もの財団のビルを建てたことをめぐって、今の野党は、その時平民党が日海財団に対してそうだったように、「阿房宮」だと非難した。両財団の規模からして、亜太財団が1994年から2000年まで募金した資金が213億ウォンと、日海財団に寄託された575億ウォンに比べて比較にならないほどだ。ただ、日海財団の財産は第五共和国の不正に対する聴聞会を通じて隅から隅まで暴き出されたのに対し、亜太財団の場合は財団側が自ら外交通商部に申告した金額だということに違いがあるだけだ。
亜太財団はそれでも、金大統領が92年の大統領選挙をひかえて、「障害者財団に寄付する」と約束した夫人の李姫鎬(イ・ヒホ)女史所有の土地(ソウル市永登浦と京畿道華城所在)を売った代金までつぎ込んで、その程度だという。話が本筋から外れたが、他の約束は破っても、150万人の障害者に対して約束を破ったことはいけなかった。
今でもソウルの光化門(クァンファムン)の大通りでは、障害者たちが「わたしたちもバスに乗る権利がある」として、障害者の移動権を強く主張する集会を開いている。かれらのあまりにも当然な切望が実現されないのは、「車いすのためのバス」を導入するほど財政が豊かではないというのが政府の主張だ。もし、永登浦(ヨンドンポ)と華城(ファソン)の土地を売った代金を約束通り使えば、いまごろは幾分解決された問題かも知れない。
障害者がさらに怒りを覚えるのは、うそが明らかになった後、「法人に寄付するという約束通り、実行する」と強く弁明していた関係者らのふてぶてしい態度だ。亜太財団が障害財団なのか、理事長が自分の財団に財産を寄付することも寄付だとすれば、重要なことは寄付対象が障害者財団かどうかにある。
全斗煥元大統領がかかわっていた日海財団が国庫に帰属させられるほど悪性組織だったとすれば、同じような基準を金大統領の亜太財団に当てはめた時、どんな結論が出されるだろうか。亜太財団側は、強制的に基金を集めて作られた日海財団とはその始まりから違うとして、別の待遇を期待しているが、世論はそう甘くない。
むしろ亜太財団にもっと不利な理由を挙げると、まずイルヘ財団は企業からだけ資金を集めたが、亜太財団は国会議員の選挙はもちろん地方選挙の出馬者からも後援金を受け取ったことで、非難を受けた(週刊東亜3月7日発売号)。日海財団の場合、一人の役員も密かに私腹を肥やしたことはないが、亜太財団の常任理事は李容湖(イ・ヨンホ)氏などから黒いわい賂を受け取ったため監獄で寒い春を迎えている。日海財団の構成員が政府の人事に介入したという話は聞いたことがないが、ア太財団の理事は軍部の要職から文化界にいたるまで人事請託を受けるほど、実力のある人とみなされている。
亜太財団は、なぜ個人が犯した罪のために財団が非難されなければならないのか、と抗弁するが、その個人が組織の代表となっている役員だとすれば、そのことばは説得力がない。大統領の執事出身で、亜太財団の核心勢力だったという人が逮捕されたのに、同財団の設立者はいまのところ、この問題についてどんな謝罪のことばも、弁明もしていない。
だとしても、わたしたちは単に関心を持って、今後のすう勢を見守るだけだ。予想より早く問題が起きたが、亜太財団で繰り返されはじめた日海財団の歴史がどう帰結するかは、わたしたちがよく知っているではないか。
李圭敏(イ・ギュミン)論説委員