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[オピニオン]「遊びのW杯大会」を作ろう

[オピニオン]「遊びのW杯大会」を作ろう

Posted March. 13, 2002 09:35,   

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先月末フランスの出張でおもしろい光景を目にした。ある晩、汽車がしばらく停車したところは人通りの少ない平和な田舎の村だった。ところが、野外の照明が明るく灯された簡易サッカー場に村中の人々が集まり、ユニフォームを着用したアマチュア選手がグラウンドを走り回っていた。へき地の村で行われるサッカーへの熱気、それが優勝国の秘けつだった。フランスの全国民が先のフランス・ワールドカップ(W杯)大会の優勝の栄光を再現する大会の開幕を胸を躍らせて待っているのだ。

W杯大会があと79日後に迫った。約2ヵ月半後の大会開催をひかえて、政府と民間団体は準備作業に目が回るほど忙しいようだ。だが、一つ忘れているものがある。興がそそられないのだ。いや、興をそそぐスターも、行事も、雰囲気もない。汎世界的なスポーツの祭典に発展したイベントを催す国の雰囲気がこうも冷え込んでいるのが、どうしても気にかかる。

1988年のソウル五輪の時は、小学校の子どもたちが「ハンド・イン・ハンド」を口ずさみながら歩くほどだった。ところが、米国の有名な女性歌手が歌ったとかいうW杯のテーマソングをそらんじる人はほとんどいない。その代り、小中高校の子どもたちが歌っているのは、あるインターネットサイトで流行していると伝えられている、露骨な反米感情を含んでいる歌だ。

選手らの技一つに、小さなボールの微妙な動きに世界人の歓声がどっとあふれる風景は、戦りつを覚えるのに十分だ。世界人の関心がこれほど集中するイベントも珍しい。だから、これを好機に「文化大国」、「IT強国」という韓国のイメージを世界に広報する戦略を講じることも考えられる。

ところが、この戦略を韓国への訪問客にそのまま適用するのはどうかと思われる。W杯だとしてもサッカーの試合を見に来るのであって、韓国の文化や産業を見学しにくるのではないからだ。かれらにとって、サッカーは本質的に「遊び」であり、「祭典」であり、「供宴」だ。選手の妙技と攻防戦を見ながら、ひとつ大いに叫び、遊ぶために、サッカー場を訪れるのだ。この遊びに中毒したあまり、理性を失ったフリーガンまでいる。だから、韓国を訪問する40万人の外国人に、わたしたちは供宴を主催するホストの立場で臨まなければならず、彼らが興じることができる遊び場を提供することが大切だ。

サッカーは本質的に中・下層民の競技であり、職業としては労働者、年齢としては10代、20代が熱狂するスポーツだ。わたしの推測では、スポーツ関連役員とビジネスマンを除いては、大半の訪問客がこうした類型に属するだろう。だとすれば、こうした人々に合った遊び文化と舞台を準備する必要がある。韓国の伝統舞踊の一つである扇踊りが、タイの爪踊り、中東のベリーダンスより美しい、といくら宣伝してみても、かれらが面白いと感じなければ、それはそれで終わりだ。どこかで一杯引っかけて、サッカー場で存分に騒ぎきれなかった余興を楽しもうとする人々に、「東方礼儀之国」と厳かな表情を作るのは困り者だ。サッカーへの熱気がアルコール、踊り、応援団といっしょになるのが外国の習わしだとすれば、心置きなく一杯飲める屋台、なりふりかまわず恋人と踊り狂うことができるディスコ・クラブ、いっしょになって声高く歌える酒場、もしくはこうしたものを全部統合した総合社交場を欲しがるかも知れない

政府と市民団体が行っている「親切、秩序、清潔」がイベント開催の基本条件だとすれば、娯楽、アルコール、ダンスがイベントのコンテンツにならなければならない。ブラジル人はサンバが踊れるクラブに行きたがるだろうし、「ゴロワーズ(タバコ)」に中毒しているフランス人は禁煙食堂を避けるだろうし、中国人は安東(アンドン)焼酎ではなく、純度60度のコーリャン酒を求めるだろう。露店カフェを求める人々にとって、地下のカフェは監獄で、ジャズ・バーを楽しむ人々に韓国歌手の趙容弼(チョ・ヨンピル)はおかしく聞こえるだろう。

W杯大会の1ヵ月間、彼らといっしょになって楽しく遊ぶのはどうだろう。参加国の大衆文化と生活様式を不便を感じない程度に味わえるようにするのが開催国の最大の義務だ。

W杯開催都市どこでも、いまだに興がそそがれないのは、まさにこの遊びの文化が抜けているためだ。青少年が熱狂しない、ただひたすら「ベスト16」入りを大学入試のように期待しているW杯大会が楽しく感じられるはずがない。W杯への熱狂が単なる浮きだった気持ちではなく、未来開拓の意志を促す希望のエネルギーだとすれば、それは他国民との拒否感のない交歓から始まる。

だから、もうこの辺で、W杯を「遊びのW杯」に切り替えてはどうだろう。サッカーと高級文化はどうもしっくり行かない関係のようで、秩序と清潔に対する「過度な」までの強調は、W杯大会にありがたくない緊張感を呼び起こすからだ。

宋虎根(ソン・ホグン)ソウル大学教授(社会学)