金槿泰(キム・グンテ)と朴槿恵(パク・グンヘ)、この2人を同時に思い浮かべることは、たやすいことではない。長い歳月が経過したものの、大統領の娘とその大統領の独裁に抵抗した人物、この2人の相反するイメージからくる不調和のせいだろう。イメージは先入観をもたせる。朴槿恵氏が、自分の党内民主化の要求を受け入れないことを不服として、ハンナラ党を離党した時に感じられた一瞬の当惑にも、「独裁者の娘」というイメージからくる先入観が働いたことは否めない。当事者にとって、このような先入観は不当であるかもしれない。しかし、朴槿恵氏が今日に至るまで「父親の後光」が絶対的であったなら、その影を守った彼女は負わなければならないのだ。「朴正熙(パク・ジョンヒ)をどう見るか」には、依然として明暗が存在することを認めるならば、それが「政治家朴槿恵」の宿命なのかもしれない。
彼女は先日、「韓国日報」の張明秀(チャン・ミョンス)社長との対談で、「私が民主主義に人一倍思い入れをするのは、まさに父を思うからだ」と語った。父親の朴正熙元大統領が、まず近代化を達成させてから、民主化を成し遂げようと考えていたと信じるがゆえ、自分が民主主義に向けて努力することは、娘として当然の使命だというのだ。
物質的な土台のない民主主義は、ぜい弱でしかないという点を考えると、誤った論理でもない。しかし「娘が信じる」という仮定だけで、父親の長期独裁が正当化されてはいけない。朴槿恵氏がハンナラ党副総裁であった昨年5月、彼女は李会昌(イ・フェチャン)総裁に、「朴正熙観」を明らかにするよう求めた。おそらく、父親の近代化への業績を認めることへの催促だったのだろう。ここで彼女の論理は落とし穴にはまる。彼女の言う「民主主義への人一倍の思い」が、その程度の歴史観にとどまっているならば、彼女の使命は実に空虚に響くのだ。
ともかく朴槿恵氏は、今や噂されている新党の中心人物であり、有力な大統領選候補の一人として浮かび上がっている。彼女みずから女性大統領の望みを隠してはいない。その望みが、現実のものとなるか泡と帰すかは、もう少し見守る必要がある。ただひとつ明らかなことは、彼女が「朴正熙の娘」から「政治指導者朴槿恵」へと生まれ変わることができなければ、その望みははかない「真昼の夢」に終わることもあり得るという点だ。彼女は、事実上初めての「国民の検証台」を通らなければならないのだ。
「金槿泰の挫折」を「朴槿恵の望み」に続いて語ることに、若干困惑を覚える。「朴正熙の娘」が、堂々と民主主義を唱えて党を飛び出した時、彼はいわゆる民主化の同志たちから「いじめ」にあっていた。彼に2000万ウォンを渡したという「東橋洞系(大統領の家臣グループ)の座長」は、彼が「あまりにもしつこく言うので渡した」と語った。彼はそのような侮辱を受けた。彼は、済州道(チェジュド)と蔚山(ウルサン)の党内予備選挙でわずか26票しか獲得できず、みじめな最下位となった。「自分だけがきれいなつもりか」という冷笑ムードが、彼を徹底的にのけ者にした。彼の「良心の告白」は、外では支持を受けたものの、内では皮肉の対象となったのだ。
彼をそのように突き放すかたわら、「選挙革命」という「国民競選制」は、手当たり次第の動員競争と金品ばらまきに染まった。にもかかわらず、民主党内から聞こえてくるのは「商売繁盛」の歓呼の声だ。週末の興味をそそる順位争いで、国民の注目を集めることに成功したというのだ。彼は「美しい最下位」として、自分を忘れないよう訴えた。しかし、彼が真の「美しい最下位」であろうとするなら、最後まで進むべきである。たとえ苦しくとも最後まで残って、きれいな政治に向けた自分の意思を全身で示すべきである。それが彼の「使命」なのだ。過酷に聞こえるかもしれないが、彼はあまりにも早く自分の使命をあきらめたことで、問題の本質を浮き彫りにすることに失敗した。
今回の挫折が「政治家金槿泰の失敗」とは思いたくない。彼はいつも「夢と希望があってこそ、歴史を変えることができる」と語っていた。彼は95年に、「現在の政治を変える」と言って政界入りを果たした。彼が変えるには現実の政治の壁はあまりにも高かった。しかし、彼も自分の限界を省みなければならない。慎重になりすぎたあまり、決断の時期を逸したことはなかったか、名分と理想論に偏って冷静な現実認識のバランスを失ったことはなかったか、省察するべきである。
彼は「希望は力なり」と言った。挫折は希望の一面でもある。ならば、絶望も力となり得ないだろうか。彼は、今は沈黙を守る時であると言う。しかし政界は、またも入り乱れる離合集散を予告している。再び立ち上がり、希望を語らなければならない。「彼の使命」はまだ終わってはいない。
全津雨(チョン・ジンウ)論説委員