Go to contents

[オピニオン]「自分」を探して走る、幸せなランナー

[オピニオン]「自分」を探して走る、幸せなランナー

Posted March. 18, 2002 09:32,   

한국어

1万2000人ものランナーたちの集合場所となっている景福宮(キョンボクン、ソウル市鐘路区にある朝鮮時代の宮殿)は、まるで宴会でも開かれているようににぎやかな雰囲気だった。42.195kmの苦しい力走を控えているにもかかわらず、彼らの表情は底抜けに明るかった。

口々に「寒い、寒い」と言いながらも、素肌をかすめるさわやかな春風がまんざら嫌いではない表情だった。

一方で、身体をならすために、早くも列を作って軽く走っている人たちがいるかと思うと、もう一方では記念撮影の真っ最中。

全国各地から走ってきた旗を見つけては、互いに呼び合ってあいさつを交わすマラソン同好会のメンバーたち、そして彼らの応援に駆けつけた家族の歓声…。

お祭りムードに胸を弾ませている、1万2000人の参加者を統制して、スタートラインに立たせるのは、到底無理に思われた。走る理由が人それぞれであるのと同じように、彼らは一人一人のスタートラインと走路を別々に持っているようにみえた。

ランナーたちを一ヵ所に立たせるためには、これまで彼らが走ってきた無数の道を、一つのスタートラインの上に並ベなければならないはずだった。マーチングバンドの後について、世宗(セジョン)文化会館の方にゆっくりと進んでいたときまで、彼らは1万2000もの血気旺盛なエネルギーのかたまりだった。

彼らの熱気と興奮ぶりは、先頭に立ったエリート選手たちの緊張を圧倒して、市民の歓声すらぎこちないものにしてしまった。果して、この人たちが秩序を守って、無事レースを終えられるのだろうか。スタート直前、30秒カウントが始まるまで、私はそうした不安にかられていた。

ところが、スタートの合図とともに、雰囲気は一変した。ランナーたちは、急に一つの流れを作って、力強く走り出した。走路に第一歩を踏み出した瞬間から、彼らは一つになった。

そして、次第に無表情になっていった。さわやかな春風も、手招きする遺跡や名所も、彼らは気づかないようだった。走者たちはいつの間にか、馴染み深い沈黙の中を走っていた。目新しいものは何もなかった。ひたすら走るだけだ。自分の心臓の鼓動に耳を傾けながら、道に導かれるまま走るだけなのだ。

光化門(クァンファムン)十字路から蚕室(チャムシル)スタジアムまで、その一本の道の上で、完全に一つになっていったランナーたち。1万2000の肉体が記憶している、1万2000もの道が一つに重なっていったあの瞬間には、敬謙な気持ちさえ感じられた。

神様から、他人から、そして自分自身から孤立している現代人たち。

無意味なことばが氾濫する中で、溺れそうになりながら恐ろしいスピードで流されている私たちは、誰もが孤独で不幸なのである。

それに比べると、つかの間でも、沈黙の中で他人と完璧にコミュニケーションができ、苦しみの中で自分自身を省みることができるランナーは、まこと幸せな人たちではなかろうか。

幸せなランナーたちが、幸せな完走に向けて走っている間、エリート選手たちは、自国の名誉を背負って奮闘していた。彼らには、戦って勝たなければならない敵が、はるかに多かった。肩を並べて走っている手強いライバルたちを、彼らは必ず抜かなければならないのだ。

そのためには、目の前に次々と立ちはだかる新しい道を征服しなければならず、先に突っ走っていきたい欲望も抑えなければならない。栄光の月桂冠に向けて、彼らは皆と一つになって走る幸せを捨てて、孤独な勝負に身を投げ出さなければならない。

月桂冠は、日本の藤田敦史選手に、2位はスペインのカメール・ジアニ・フアシシ選手に与えられた。そして第3位に、韓国のイム・ジンス選手が名を連ねた。

巧みなペースコントロールで、鍛えぬかれた実力を遺憾なく披露した藤田選手と、力走した韓国のイム・ジンス選手に、おめでとうのことばとともに熱い拍手を贈りたい。

期待を集めた大勢の選手が、オーバーペースのわなにはまり、試合をあきらめたり、あるいは自己最高記録に及ばずだったのに比べ、韓国のイム・ジンス選手が見せてくれた闘志は、目覚ましいものだった。

自分の記録とは格段の差を見せている、2時間6〜7分台の記録保持者たちと肩を並べて走りながらも、自信を持って決勝点まで全力を尽くしたのである。

自分との戦いに勝つことで、真の栄光を手にしたイム・ジンス選手が、東亜(ドンア)マラソンに惜しみない声援を送ったソウル市民に、希望を与えてくれることを願いたい。

チョ・ミンヒ(小説家)