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[オピニオン]民主党の立場はなにか

Posted April. 02, 2002 09:50,   

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与党民主党の大統領選公認候補を選ぶ予備選挙で李仁済(イ・インジェ)候補と盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補の理念攻防が、激しさを増している。観戦する側の視点も多様である。今どきの世の中に、左右論争が何の意味があるだろうかという無用論がある一方、南北が対峙している状況だからこそ、理念論争に敏感になるしかないという主張もある。

理念と政策によって政党を左と右に位置づける時、普通、最も左寄りに位置する極左政党は共産党だ。最も右寄りにある極右政党としては、ファシスト党が挙げられる。李候補が盧候補に対して、欧州の左派よりもっと左寄りであると主張することは、つまり共産党に近いということだ。「財閥は解体しなければならない。土地と財閥の株を政府が買い上げて、労働者に分配しよう」「労働者が主役になる世の中のために努力しよう」という盧候補の過去の発言は、経緯はともあれ、抵抗感があるのは事実だ。盧候補は「当時の発言と今の考えは同じではない。理念攻勢は、一部の極右マスコミやハンナラ党、軍事独裁政権、不当な既得権勢力の常套手段だ」と言って逃れようとしたものの、容易ではない雰囲気だ。足を引っ張ろうとする陣営とこれを振り払おうとする陣営の争いは、今後も激烈さを増しそうだ。

観戦者の立場からみれば、盧候補の理念的基盤が本当にそうなのかという疑念も感じ、また一方で、李候補がわけもなく食い下がる非紳士的な行動に出ているのではないかという気もする。両候補の理念攻防が再燃した時点は、優勢であった李候補と劣勢であった盧候補の形勢が逆転した直後であった。そのため、もし李候補の勢いがそのままであったなら、果たして今のような理念攻防が始まったであろうか、という考えもなくはない。

もとより相手の思想と理念に対して、とんでもない罠をかけて攻撃する理念論争は、排除されなければならない。しかし、本当に理念論争に過ぎないのかどうかの判断は、有権者がすることだ。理念検証の主張が時代錯誤的なのか、理念と思想の根底に大統領候補としての不適格な要素はないのかを判断することは有権者の役目だ。従って、有権者の選択を狙った両候補間の徹底した自己擁護は、自然な現象である。それに対して、予備選挙のムードを乱すと非難するなら、それは心の狭い考えだといえる。

民主党も両候補の熾烈な理念攻防から自由ではない。今日世界各国の政党は、左と右の中間を時計の振子のように揺れ動いている。中道右派や中道左派という政党が大半で、そのうえ左右に移動する「運動の幅」は漸次狭まっている。有権者の性向が、中間の方に集まるすう勢であるためだ。民主党もまた、ある特定理念を標ぼうする政党ではなく、中産層と庶民に支持基盤を置く大衆政党であり、革新や急進的な改革を標ぼうする政党ではなく、進歩と保守の色を同時に帯びた政党なのだ。

最近、民主党の壁を突き崩す政界再編論まで飛び出した。党を根本的に改造することを意味し、単なる通りすがりの話ではない。その主張は、時期的に不適切だという指摘のため、いったん水面下に潜んだ状態だが、国民の期待は消えてはいない。

民主党は、火のついた予備選挙の熱気を保つために、そして特定候補の肩をもつと誤解される懸念のために、今のところは沈黙を守るしかない立場であるようだ。しかし、両候補の理念攻防は、民主党のアイデンティティとも関わることだ。時を見て党の立場を明らかにしなければならない。党の路線と理念は「こっち」なのに、候補が「あっち」を主張しているとすれば、候補と党の考えが一致しないという現象が起こる。そんなことでは、政党政治であるとは言えない。

南賛淳(ナム・チャンスン)論説委員