初代の林聖男(イム・ソンナム)団長に次いで、1993年、2代目の団長に就いた金恵植(キム・へシク)韓国芸術総合学校舞踊院長は、韓国バレー復興の土台を作った人物。
カナダ・レグランバレー団の首席ダンサー、米カリフォルニア州立大学の演劇舞踊科教授などを歴任した氏は、30年余りに及ぶ外国暮らしの中から会得したノウハウを国立バレー団に取り入れた。自身の後継者となった崔泰枝( チェ・テジ)前国立バレー団の団長をはじめ、イ・ジェシン、ハン・ソンヒ、カン・ジュンハらを育てた。
金院長は「基本技の教育を重視したことと、踊り手の身体条件が西欧化してきたことが、韓国バレーの成功要因」だとして「親しい後輩をスカウトしていた旧態依然の悪習を捨て、実力のあるダンサーなら、たとえ新人であろうと主役のダンサーとして抜てきしたことが効を奏した」と語った。
また93年、国内初のバレー団附設教育機関の「文化学校バレー団」(現国立バレー団アカデミー)を設立、ダンサーのたまごの養成に乗り出した。「文化学校…」出身のイム・ジョンユンさん(ソウル芸術高)が昨年、アジア太平洋国際舞踊コンクールのジュニア部で金賞を受賞するなど、バレー人口の増加に貢献したとの評価を受けている。
3代目の崔団長が赴任した96年から国立バレー団は、バレーの大衆化に成功するなど飛躍的な成長を続けることになる。97年から「解説のあるバレー」を取り入れ、踊り手と観客の距離を近づけたのだ。「解説のあるバレー」は、崔団長が在任した6年間「全回売り切れ」を記録するほど、爆発的な人気を集めた。
崔団長はまた「スターマーケティング」を定着させた。キム・ジヨン、キム・ジュウォン、キム・ヨンゴル、イ・ウォングクなどの団員を外国のコンクールに出場させ、入賞の機会を与えたのである。
彼女は「キム・ジヨン、キム・ヨンゴルが98年、フランス・パリで行われた舞踊コンクールでデュエット部門1位を受賞してスターになり、これはバレーフアンの増加へとつながった」として「最近は、毎年90回の公演をこなす一方、ダンサーたちが練習を怠らないのも韓国バレーの水準を引上げた要因」だと自評した。
このほか、1993年から年間7000万〜8000万ウォンを後援している政財界の人士20人で構成された「国立バレー団後援会」と、昨年結成され、チケット販売のボランティア活動を展開している「バレー同好会」などが、今日の国立バレー団を作り上げる礎となった。
今年、新たに国立バレー団を率いている金グンス4代目団長は「これまで前任の団長たちが作り上げた成果をもとに、2004年の欧州公演からは韓国の創作バレーを披露する予定。積極的に投資家を誘致して、安定的な活動基盤をつくりたい」と語った。
舞踊界の関係者も、国立バレー団が短時間で急成長を成し遂げたことを高く評価している。99年財団法人として独立して以来、予算を増やして外国から振付師を招へいしたり、舞台装置や衣裳などへの思い切った投資により、一層のレベルアップに成功した。
このことに勇気づけられ、この6月に予定されている「ドンキホーテ」公演には、フランスの衣裳・舞台デザイナーのジェロム・ケプランと、58年間フランス・パリのオペラとバレー舞台の照明を担当してきたベルナール・イヴを招へいし、ヨーロッパスタイルの舞台を披露する予定。さらに10月には、ヨーロッパ一の振付師のジャン・クリストフ・マイヨによる「ロミオとジュリエット」、12月には「くるみ割り人形」を舞台に上げる予定。
舞踊評論家のチャン・グァンリョル氏は「外国人振付師の指導で、演技と踊りの腕が随分良くなった。しかし、主役のダンサーが足りず、群舞陣の演技力を補わなければならないなど、問題点もある」と述べた。
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