第一段階の大統領選公認候補の予備選挙が行なわれ、各党の候補者らが闘うのをみていると、混乱という感を禁じえない。党のアイデンティティがまったく見い出せない。与党は与党で、論争の内容がまるで与野の激突のようであり、野党もまた然りである。
このようになった背景には、党の形成が、地域性と金氏との親疎関係によって成り立っていることに起因する。そのため、路線という要素は希薄となり、左右が同居する政党になってしまった。その結果、各党内部で候補者らが繰り広げている論争が、水と油のような様相を呈している。どの政党が大統領選で勝利しても、政党の姿がこのようでは、国政の混乱は避けられないだろう。
ならば、今からでも路線に従って、政党が新たに構成されることが望ましい。ところが、これがたやすくないと思われる一つの理由がある。政治勢力が、保革に分かれなければならないという抽象的論議と主張が巷でしばしば目にされる。しかし問題は、進歩や左派勢力が厳然に存在し、反対勢力に対して右派だ保守だと言って攻撃しながらも、いざ自分が左派と決めつけられたら、違うと否定する奇異な現象である。
主敵を指摘することをごまかしたり、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)住民の人権や体制の民主化について口を閉ざしているのが進歩とされるのは、明らかに民主化された政治社会で、政治勢力が取る態度ではない。それは、国民の政権選択の条件をぼやかすためである。
そもそも、自分の姿をさらけ出すのをはばかるようにした震源地は、今の政権にありその政権に責任がある。機会主義的政権運営が、この政府の目立った特色であるものの、内実をのぞけば、北朝鮮問題に関連する政策には口を閉ざしながらも、社会保障政策だけを持ち出して反ばくすることは、こっけいこの上ない。いさぎよく左派と認めることが、なぜそうもはばかれるのか。
ところで、そのように攻撃する野党もまた、その姿は奇異に映る。右派を自負しながらも、路線にかかわる問題もろくに対処できていない。政治的に不信任を受けた者が大統領府に再び入り、その人物が北朝鮮への特使となったことに、政治的責任の一つも明らかにできないのが現野党の姿だ。このような状況からみて、今度の大統領選までは、同居政党がそのまま存続するものとみえ、国民は霧の中でさ迷うことになるだろう。
このような状況は、金大中(キム・デジュン)政権の政権継続への努力に絶好の条件をもたらすだろう。同居という霧の中でこそ、権力装置を掌握しているいわゆる進歩勢力が、力を発揮するにはもってこいなのである。
その目標は2つに要約される。一つは「厳しい」窮地に追い込まれた北朝鮮政権の延命を保障して太陽政策の命脈を維持させることで、二つは、大統領の息子らの問題をなんとかして突破することだ。このような目標を前提に鑑みて、地域かっ藤を解消するという大義名分で上位概念である民族を掲げ、大統領自身が政界の集散を試みて同居政党現象を片付けた後、個人的な忠誠を中心とする新たな家督政党を構成する可能性もなきにしもあらずだ。それは、これまでの経験からみて、今のような困難な状況で金大中大統領がじっとしている偉人ではないからだ。
しかし、目下の状況は非常に深刻だ。最高権力者の息子問題で騒々しい外国の例に接しても、どこかの後進国のことかと、人ごとのように思っていた韓国社会にも、続けざまに現実問題として登場した。シンガポールのリ─・クァンユ─元首相が、西欧式民主主義は東洋には合わないといった主張を反ばくした金大統領の過去の姿が、なんとも悲しく感じられる。その惨たんたる心情を禁じえないのは、まさにこの国の民衆の苦痛である。大統領を王にたとえ、息子を皇太子にたとえるしかない現実を思うに、国民は今歴史のどこに置かれているのか問わずにはいられない。北朝鮮の金日成(キム・イルソン)王朝をあざ笑っただけになおさらである。
歴史はこのように紆余曲折を経ながら進むものであるが、それが前に進むのか後ろに後退するのか分からない状況で、一筋の希望は、国民が賢明でなければならないということだ。国民が当面している現実は実に「厳しい」のである。
盧在鳳(ノ・ジェボン)元首相