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[オピニオン]「無情な」ことから言え

Posted April. 30, 2002 11:23,   

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歴史は繰り返されながらも進展すると言っただろうか。政局は、大統領選挙資金と韓宝(ハンボ)事件で蜂の巣をつついたように騒がしかった5年前の春とまったく同じ状況だ。その所在と配役が代わっただけだ。

現在野党ハンナラ党大統領候補として有力視される李会昌(イ・フェチャン)氏が金泳三(キム・ヨンサム)前大統領によって新韓国党代表に抜てきされたのが、1997年3月だ。その時も、金大統領の「金心(金大統領の内心)」についてさまざまな推測が飛び交ったが、李代表は事実上与党の大統領選候補として浮上した。

国会は、韓宝事件に関する聴聞会を開き、金大統領の息子、賢哲(ヒョンチョル)氏を袋小路に追い込めていった。政権に対する強力な攻めの主役は、国民会議総裁だった金大中(キム・デジュン)現大統領だった。今と同様、当時の金(泳三)大統領も息子の問題については超然とした立場だとし、残りの10カ月の任期を国政にのみ専念すると言った。それまで持ち耐えていた賢哲氏は、李会昌氏が新韓国党代表に抜てきされてから約2カ月後の5月17日、「私は何の罪もない」という言葉を残して拘束された。

党内候補選によって27日、与党民主党の大統領候補となった盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏も、5年前の李代表と大差ない状況に直面している。金大統領の三人の息子に対する不正行為疑惑は、掘れば掘るほど芋づる式に表面に出てきて、終わりが見えない。5年前には不正疑惑に関連した大統領の息子が1人だったが、今は3人だ。そのうち誰が賢哲氏のように司法処理の対象になるかはまだ分からない。しかし、それが1人であれ2人であれ、流れは司法処理の方向に流れている。

大統領を夢見ていた5年前の新韓国党の李代表は、代表就任直後、賢哲氏問題について「父親と息子の関係を考える必要がある」とし、父子の情をひそかに強調した。そうしているうちに状況が悪化し、冷静な法論理のものさしを当て始めた。李代表は「国民が納得できる範囲で全ての疑惑が解消されなければならない」、「法と論理によって処理しなければならない」、「息子の拘束と大統領の国政の遂行は別個だ」と距離を置いた。

盧候補は、いま金大統領の息子問題に対してどの程度まで「進んで」いるのだろうか。大統領選挙候補となることが確実視され始めた今月中旬からの発言を羅列してみよう。「私の選挙に不利になるかもしれないという潜在的可能性があるからといって、誰かをおとしめるような無情なこと言わない」、「大統領が適切に処理するだろう」、「大統領の姿勢が私と民主党に重荷となっているのは確かだ」と、少しずつだが内容を「前進」させている。自らが公けの場で約束したからか、「無情な」ことは言っていない。相当に温情的な言い方だ。それゆえ、これまで誰の目にも大統領府の顔色をうかがっていると映ってきたのだ。

盧候補は27日、候補受諾の演説を通して、政治改革、原則と信頼、国民の融合という3大課題を提示したが、ここで気になるのはそのようなことではない。国民の関心は、与党の大統領候補として現政権の不正と大統領の息子たちの問題についてどのような考えを持っていて、どのような解決策を考えているのかに集まっている。盧候補が今後どのように言葉を換えていくかは、はっきりとは分からない。しかし盧候補は5年前の李会昌氏のような党の代表ではない大統領候補だ。李代表より所信を持って白黒を区別して話せる立場だ。

金大統領が盧候補の重荷を軽くするために息子問題について自ら対処し明快に解決する可能性は見えてこない。全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領の夫人李順子(イ・スンジャ)氏が96年12月、東亜日報に掲載した回顧録によると、6・29宣言(1998年6月29日の盧大統領による民主化宣言)当時、全大統領はその宣言の全ての「栄光」を40年来の友達である盧泰愚(ノ・テウ)候補のものにする、1人で脚本を作り演出をした。6・29宣言の背景については、主張がかみ合っていないが、当時二人の間には「大統領になるためには自分を踏み台にしてもかまわない」という「義理」があったのかもしれない。しかし、今、金大統領が盧候補をひそかに呼び出して「自分の息子問題をついてもいい」と盧候補の当選のために喜んで犠牲になると言うだろうか。

いずれにせよ、金大統領の息子問題は、盧候補が克服して越えなければならない山だ。何らかの政治的恩恵を被ったとしても、それは二人の私的関係に過ぎない。

盧候補は、直ちに金大統領の息子問題を正面から取りざたすべきだ。「釜山(プサン)の男」「義理」うんぬんし「無情な」ことは言わないという時はもう過ぎた。金大統領は、息子たちの過ちを処理できずにいるが、盧候補は「父親の過ち」をも断罪するという勇気を見せるべきだ。それが国民の気持ちだ。国民の気持ちが分からないならば、大統領候補としての資格はない。

南賛淳(ナム・チャンスン)論説委員