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[オピニオン]責任政治逃れ

Posted May. 08, 2002 09:46,   

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金大中(キム・デジュン)大統領が民主党を離党した。これで盧泰愚(ノ・テウ)元大統領と金泳三(キム・ヨンサム)前大統領をはじめ、3人の大統領が在任中に与党を離れた結果となった。ところで、この3人の大統領は権威主義体制の退潮以降、民主化への移行時に政権を担当した共通点を持つ。これまで以上に、政治的責任について社会的なニーズが高まっている時期に政権を担当していたのだ。それでも3人の大統領は、在任中に与党を離党したことで、逆に韓国の責任政治が、いかに低級なレベルにとどまっているかを実証したことになってしまった。この点に、韓国における政治の矛盾と悲劇がある。

元来、政党政治は責任政治のことをいう。ある政党が政権をとった場合、選挙過程における約束を政権期間中に懸命に具現し、その結果に対する評価を通じて再び政権の可否を決定づけよう、というのが責任政治の論理である。だからこそ、大統領選挙も、自然人としての大統領一人を選出する過程というよりは、大統領を象徴的代理人と位置づけている一団の政治的結社体に対する選択とみるべきだろう。

従って、国民の参政権を与党と共同で受任したというべき大統領が、与党と決別した場合、有権者としては、相応の評価と責任追求の対象をなくすことになる。この点は、とりわけ単任制を取り入れているわが国の大統領の場合において、一層深刻にならざるをえない。責任政治の具現が根元から遮断されてしまうということだ。

ところが、韓国では大統領が与党を離れることが、一つの慣行のように根付いてしまっても、これを問題視したり、政治的に反発する者が与党内にはいないのだ。わが国の政党政治が、いかに虚構的かをみせつける部分である。

そればかりではない。大統領の与党からの離党をみていると、政党をして責任政治を具現する通路はおろか、政治的責任逃れの手段として利用しようとする意図すらうかがわれる。表現こそ、大統領選挙を公正管理するために与党を離れるということだったが、実際は腐敗や失政で引き起された政治的危機から逃れるために離党してきたことは、誰もが知っていることだ。与党を、自ら担うべく政治的責任に対する一種のスケープゴートにしようとしたのだ。

これは、とりわけ大統領の与党からの離党が、国政を運営する上で中立性の維持と客観性を確保するためにやむを得ない選択であるとする主張から、さらにはっきりとしてくる。この論理で行けば、これまでの政治的腐敗や不公正は、いずれも与党とのかかわりから引き起されたとする主張が成立する。失政の責任が、大統領ではなく与党にあるという暗示である。自己責任回避の極めつけといえる。

中立的な国政運営のためにも、政党とは一定の距離を維持すべきとする主張にはまた、政党政治を派閥による遊び程度に理解するだけで、国民の政治的ニーズや趣向を、国政の運営に反映するための仕掛けであるとの認識は欠けている。いや、政党と隔離されたとき、より合理的な代案の模索が可能だとする考え方こそ選民意識の現われであり、独断と我執の出発点である。

さらには、野党の監視とけん制から離れようとする発想と意図すら感じ取れる。さらに根本的には、国民のニーズに照応しようとする意思に欠けている。ずばりこの点において、責任政治への無関心が読み取れる。

その上、このたび金大中大統領の離党については、大統領自身に対する責任問題がさらに追加される。大統領の息子をはじめとする親戚姻戚の腐敗と疑惑が社会的な争点として浮上しており、それが与党を離党する主な原因の一つになっているとすれば、当然のこととして大統領自ら進んで国民の前に謝罪して、問題解決の方向を示すべきであった。少なくとも、大統領自身の倫理的道徳律について、自己責任の追求が足りなかったのである。

ところで、このような無責任と非倫理が、ほかでもなく民主化への移行期における特徴のごとく根づいてしまうのはなぜだろうか。権威主義統治体制の除去が、政治的代理人にして国民に順応し服従するよう誘導するのではなく、政治指導者の放漫な自主権の拡大に限って貢献したからではなかろうか。

3人とも、憲政史上初めて5年単任制の大統領であったという点からみて、制度上は単任制が政治的無責任を促す要因のひとつであったはずだという観測も可能になる。

しかし、何といっても権力に対する国民の統制と監視が、まだき弱な水準にとどまっているからであるだろう。民主化への移行において、ほかに王道はないようだ。専ら意識をもつ国民こそが国民たる待遇を約束される、という民主主義の金言の一句を、改めてかみ締めるべきだろう。

朴載昌(パク・ジェチャン)淑明女子大学教授(議会政治学)