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[オピニオン]子どもたちに申し訳ない

Posted May. 15, 2002 09:17,   

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あたり一面、山に囲まれている私たちの学校はいま、緑色に覆われている。さわやかな新緑の中で2、3人の子どもたちが遊びに興じている。今から30年前まで、朝になると子どもたちの声で学校中が騒々しかったものだが、今では全校児童40人が校庭に出てボールを蹴っても、校庭を埋めるにははるかに及ばない。校庭や学校が、余りにも大きく感じられる。そのためか、広々とした校庭が貧しくみすぼらしく見える。子どもたちは皆どこへ行ってしまったのだろう。

私は、教師として正式に教育を受けていない。今から33年前のある日、それこそ偶然にも教員養成所の試験を受けて、夢にも思わなかった教師になった。それもわずか4ヵ月でだ。昨年、教師の需給問題で国中が騒がしかった時、私はあのころの自分を思い出してみた。なんと、33年前の問題が今日再び再現されていたのだ。それがわが国における教育の現実であったし、また現実なのだ。

ともかく、私は4ヵ月間の講習を終え、第一線の学校に配属された。実のところ、私は教師という職が嫌いだった。私の青春が、田舎の学校の教師という退屈な職業を受け入れようとしなかったのである。退屈な教師生活から抜け出せるこれといった妙案が浮かばなかった私は、無味乾燥な学校生活をしていた。

そうして、5年生を教えていたある日のことだった。その日の朝も私は、いつものように教室に入っていった。子どもたちが一斉に立ち上がり、私に向かって大声であいさつをした。瞬間、私は驚いた。子どもたちが一人一人独立した「一人の人間」に見えたのだった。子どもたちの様子はまぶしいほどだった。月の明かりに照らされた川のように、きらきらと光っていたのである。そうだ。このクラスの子どもたち全体が一人なのではなく、子どもたちは一人一人の人間だったのだ。私は、めまいがするほど、はっと気がついた。恥ずかしいことだが、私は教師になって8年目にして子どもたちを、人間を見たのだ。

私は、その時から教育について考えるようになった。考えれば考えるほど、わが国の教育現実はずさんなものだった。教育を取り巻くあらゆる制度と環境をここまでしておいて、教育せよということ自体、大変な矛盾だった。そんな中でも私は、子達と楽しい日々を過ごし始めた。学校に来るのが楽しくて幸せだった。新学期、初対面の子どもたちが私に近づいては遠ざかり、遠ざかっては近づく愛の駆け引きが、私は好きだった。初めは、私から一歩離れたところで様子をうかがっていた子どもたちが、数ヵ月後には私の手を取ったり、肩を組むようになった。子どもたちの暖かい体温は、私を幸せにした。

私は、今でも子どもたちの戯れる様子を眺めていると、飽きることがない。あの時、私は人間が花より美しいということを悟ったのだ。子どもたちは、私の人生における師となっていった。嘘が通じない子どもたちの世界が、私は好きだった。毎日の学校生活が、私の現実の中の最も幸せな時になっていった。家路の中で、「登校」しながら子どもたちのことを思っては幸せな気分に浸り、またある時には私の過ちを悩んだりした。私はいつも子どもたちに、私の真心を伝えようと努力した。

歳月が流れ、私の頭にも霜を頂くようになった。私は最初、生涯教師としての生を送ろうと決めた時、次のように誓った。「私は、黒髪をした若さでこの子たちに出会ったのだ。頭に霜を頂くまでこの子たちのそばを離れまい。そのような生涯も美しかろう」と。私はその思いで、今も子どもたちのそばにいる。

私は、自分が卒業した小学校で22年目の教師生活を始めた。私のクラスには、7人の児童がいる。かつて私の教え子が親になった。その子どもたちが私のクラスの児童として私の前に座り、瞳を輝かせて私を見つめているのだ。

私は「師の日」について一度も考えたことがない。国をあげて、この日一日だけでも師に感謝の気持ちを抱くことがいいのか悪いのか、私には分からない。今日まで私が生きてきた日々を振り返ると、子どもたちに自慢できることより、赤面するような恥ずかしいことのほうがずっと多い。私は子どもたちに、私のこれまでの過ちを許してほしいと、頭を下げて謝りたい心境だ。

私たち大人は、子どもたちが生きていく世の中のために、心からうれいだことがあっただろうか。子どもたちに申し訳ない限りだ。

キム・ヨンテク(全羅北道イムシル郡ドクチ小学校教師、詩人)