金大中(キム・デジュン)大統領の息子弘傑(ホンゴル)容疑者が逮捕されると、与野党は我先に「親戚取締り」を訴えた。特に、ハンナラ党は親戚に対する監視機構の監督権を野党に委ねるという風変わりな公言までした。政権与党にそれを委ねれば、権力の顔色をうかがうことになり、うやむやになってしまうという理由だ。今も青瓦台(大統領府)の民政秘書室で大統領の親戚を管理しているというが、結果はどうだろうが。3人の息子の不正関連疑惑以外に義理の甥、部下、側近そして妻までも槍玉にあがる状況に至ったとなれば、今後はもっと奇抜な「制度的装置」が登場するかもしれない。「制度的装置」と括弧をつけたのは、効果が疑わしいという意味だ。
根本的に、親戚の不正はどんな政治を行っても防げるものではない。それが起これば取り調べるとはいえ、若干の予防効果はあっても大して期待できるものではない。実際、処理の過程で複雑な内部でのもめごとなどが起き、なかなか決着のつかない公算が大きいからだ。重要なのは、任期中には権力の周りに決して近づかないという、権力に近い人たちの心構えだ。
弘傑容疑者の逮捕シーンを見て、処世術にたけた人たちに巻き込まれたからだと考える人もいるが、そうではない。弘傑容疑者は、従犯ではなく正犯として「近親政権」のないもの知らずの権力を振り回したのだ。「近親政権」と書いた理由は、現政権が身内と部下同士が絡み合っている進化論の初期の「未分化」段階の意識を持っているからだ。逮捕された権魯甲(クォン・ノガプ)民主党元顧問を始めとする東橋洞(トンギョドン、大統領の側近グループ)系の部下、側近らを弘傑容疑者はおじさんと呼んだ。同様に服役中の李守東(イ・スドン)アジア太平洋財団理事は、子どもの頃、金大統領と隣近所だったし、中学時代には金大統領の家に下宿していたこともあった。おじさん以上の関係だ。彼らは、このような固い縁を柱に前例ない「近親政権」を作り出したのだ。
まさにその人たちが政権の実勢であることを自認し、またそのように行動した。彼らに守られて、弘傑容疑者は何も恐いものはなかったはずだ。国家情報院のナンバー2による事前警告をつっぱねられるようでは、これ以上何も気兼ねするものはなかっただろう。「近親」という語感から連想される陰湿で不道徳なイメージそのまま、結局それはかつて見られなかった途方もない規模の権力腐敗、政権不正となって現れた。しかも、最近次男の弘業(ホンオプ)氏に関連する捜査過程で新たに表面化した青瓦台の「強圧捜査発言」の誘導疑惑を見てみよ。罪質に良し悪しがあるわけではないが、そのような疑惑が提起されたということだけでも、同政権はさらに浅はかなものになった。
DJ(金大中)政権は、これまで羞恥心もなく「近親政権」という名刺を配ってきた。のみならず、随時改革と民主化を独占しようというスローガンをこめたビラもばら撒いてきた。外部の新鮮な血が遮断された「近親政権」は、生来、その機能が弱まることは必至だ。辞任した中央人事委員会委員長も血縁と地縁がからみあって生じた「血栓」を指摘し、それによる「近親政権」の機能障害をなげいた。それにもかかわらず、彼らが作り出した製品がさらに粗悪で奇形にならざるをえなかったのは、まともに消化できないくせに改革や民主化という名分を独り占めしてきたからだ。
軍事政権時代、政権勢力は愛国心を独占した。軍服の画一的愛国心でもって、気に入らないものは何でも覆って隠した。金泳三(キム・ヨンサム)政権も、改革と民主化を掲げなかったわけではない。ところが、ひときわ現政権に入って以来、名分ばかり飽食したがる理由は何か。野党として政権交代を成し遂げたという達成感に酔いしれて、目の前の全ての物が戦利品に見えたのだ。そしていきまき、うぬぼれて「我々の改革と民主化」を強行したのだ。実際、改革と民主化名分ほどよい包み紙もない。ところが、今成功した改革だと言い切れるものが、果たして国政のどこにあるのだろうか。教育か、医薬分業か、公企業か。しかも、独り善がりの民主化を強調しているうちに、人に深い傷を負わせた。警察官7人が命を失った東義(トンウィ)大大学生のデモと全教組活動を民主化運動と見なすかどうかがその例だ。民主化の飽食後遺症だ。隠して進めてきた北漢(プッカン)山民主公園も同じだ。
つきつめて考えてみよう。権力腐敗、政権不正以上の反改革、反民主化がどこにあるだろうか。現政権は改革、民主化を語る資格はない。
権力の周辺でこのように多くの人たちが、似たような時間に、似たような腐敗に関係して逮捕、捜査された政権がいつあっただろうか。今や「何何ゲート」という言葉に飽き飽きした。もうやめてほしいという読者の声も聞こえる。しかし我々は全てを記録し追跡する。その手を休めていては、もう一度このような嫌気のさすような有様を繰り返させてしまう。しかも、いまだこの政権の中には自分たちだけが改革、民主化の主役であり他人は反改革、反民主と決め付ける不届き者の勢力がいるではないか。
崔圭徹(チェ・ギュチョル)論説主幹