Go to contents

[オピニオン]政治改革は有権者の手のなかに

[オピニオン]政治改革は有権者の手のなかに

Posted May. 24, 2002 11:17,   

한국어

経済学では企業を生存と成長のため、持続的に環境に適応し変身していく存在として捉えている。これは生き物が生存競争と適者生存の原理に基づいて絶えず環境に適応し、進化していく原理のようなものと言える。したがって、国の中で特徴的に観察される企業形態や構造は、否応なく、その国の企業環境の産物と言うことができる。もちろん、国の企業環境は、その国の政治、社会、文化と政府政策によって形成される。

そのため、経済学の論理からすれば、企業の形態を変えようとするなら、企業人を非難したり、企業の間違った慣行を修正するよう強要するよりは、企業自ら変わらざるを得なくなるよう企業環境を変えてやる方が根本的な改革につながるのである。多くの経済学者らが、財閥改革の過程で政府の直接的な介入や強要による改革に懐疑的な反応を示していたのも、そのためだった。

こうした企業改革の原理を、我が政治の改革に適応してみれば、どんな示唆を得ることができるだろうか。

企業の目標が利潤の増大と企業の生存にあるとすれば、政治家たちの目標は政治的影響力の増大と政治生命の継続だと言えるだろう。

ならば、政治家たちが国民のために奉仕し、正しい国政を繰り広げようとする試みは、あくまでも、そのような行動が彼らの政治生命に為になる範囲内でのみ期待できると、見ることができる。

一部の政治家が、国民に非難され憎まれながらも、怒りを買う行為を繰り返している理由も、まさにそのような行動が自分の利得になっているからである。

かつて、政界に飛び込んだ人物のなかには、それなりに正しい志と大きな理想を繰り広げて見ようと決心した人もいただろう。しかし、高邁な人格と純粋な理想だけで国民の票は得られないのが現実だ。

票を得ることも専門性と経験を必要とする一種の技術である。ただし、わが国では、票を得る能力と国家経営能力が必ずしも比例しないのが問題だ。

政治家たちの間で不正の暴露や相手を中傷するやり方での政争が繰り返される理由は、そうした戦略が効果を出しているからだ。政治という土俵での効果とは、言うまでもなく国民世論と投票の方向が、そうした戦略によって変わることを意味する。効果がある限り、誰かはそうした処方箋を使おうとするだろうし、自分一人だけが高邁な振るまいをしていても汚物をかぶり、政治の土俵から退場されるだけだ。

むしろ、不正と腐敗を犯し、有罪判決を受けて政界を離れた政治家が一定の時間が経ったあと、赦免復権され、政界に復帰しては以前よりも大物に成りすましている。コネをつくり、利権とポストをたらい回しすることを政治力、または融和力と美化しているのが我が国の政治風土である。

これまでに我が国の政界を風靡し、生き延びている人たちこそ、我が政治と社会、文化と国民感情に最もうまく適応できた土着政治家であるわけだ。ならば、我が国の遅れた政治文化は、レベルの低い政治家たちのためではなく、低い水準の政治家たちだけが生き残れる土壌のためであるとみるべきだろう。

政治改革は、まさに雑草のような政治家たちが淘汰し、有能で正直な政治家たちが大成する政治土壌をつくることから始められるべきだ。

そして、その土壌は政治家たちがつくるのではなく、まさに有権者である国民がつくるものである。

しかし、政治家たちの金品提供や根拠もない暴露に振り回される国民がいる限り、政治家の二枚舌とウソを容赦し、理解を示す国民がいる限り、そして前科者に票を入れる国民がいる限り、有能で剛直な政治志望者らが我が政治の土俵に根を下ろすことを期待することはできないだろう。また、政治家たちも、国民のことを騙しと票田狩りの対象としか思わないだろう。

金鍾奭(キム・ジョンソク)弘益大学教授(経済学)