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[オピニオン]大統領4年重任制改憲論

Posted June. 03, 2002 13:06,   

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1987年に憲法が改正されてから15年が経つ。アスファルトを熱くした6月のスローガンも、15年の歳月とともに忘却の彼方へと去ってしまったようだ。憲法改正を求める政治家や経済人らの主張が力を得ていることから、なおさらそう感じられる。

その要旨は、大統領の任期を5年単任から4年重任に変えようというものだ。すぐにでも憲法を改正しなければ重大な事態が起こるかのように、彼らは大騒ぎする。政治家が国民をだましたのが一度や二度ではない。その主張どおり、果たして「狼が出るぞ」であるのかは疑わしい。議院内閣制、副大統領制、両院制と言いつつも、国民の目をごまかして、首相、副大統領、参議院をうまく設けて、さびしいふところを狙っているのではないだろうか。

英国の人類学者ジェームス・フレイザーの力作「黄金の枝」の中で「タラベティパロティアム」という南インド諸島の島の話がある。「5年間、専制君主の絶対権力を与えるものの、期間が満了になると、原住民が集まる中でその首を切って空へ放り投げる。原住民たちは争って落ちた首を拾おうとし、これを拾った者が、次の5年間、同じ地位に任命される」1987年に改正された韓国の大統領制憲法の最近の事情ととても似ている。パーティーが終わり、後は「首切り」だけを待つ大統領の姿、新たな宴を開こうと、切られた頭を拾おうと狂奔する候補者たち、そして近くで見つめる国民の冷ややかな視線。

4年重任制改憲論の主張によると、5年は所信を実現するにはあまりにも短く、単任制では政治責任を追及できないということだ。しかし任期の長短は、結局は相対的な問題に過ぎない。大統領の無能さに耐えるには、5年の歳月は長いかもしれない。重任制だけが、大統領の責任を追及できる唯一の装置でないばかりでなく、その重任が1回に制限される限り、追及される責任もまた1回に制限される部分的なものだ。

これまでの憲政史の経験を振り返ってみる時、むしろ深刻な危険は、現職大統領が人的・物的資源を総動員して、再選に臨む正面対決によってもたらされた。また、金泳三(キム・ヨンサム)前大統領の果敢な政治軍人の排除や、金大中(キム・デジュン)大統領の前向きな対北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)政策の推進も、単任制でなかったなら不可能だったかもしれない。

大統領と国会議員の任期の不一致も問題だという。大統領選挙と国会議員総選挙を同時に行なって、行政と立法の支配勢力を一致させることで、毎年選挙を実施する負担を減らす必要があるという。しかし、大統領選挙と総選挙が実施される時点と「与小野大」の問題状況は、何の相関関係もない。むしろ1948年の建国憲法は、大統領の権限をけん制するために、大統領選挙と総選の時期が、正確に中間でずれるようにした。

任期不一致だけが問題なら、国会議員の任期を5年に増やす方法もあり得るため、必ずしも大統領の任期に手をつける必要はない。大統領(5年)と国会議員(4年)の任期が一致しないことは事実だが、それは正確に20年を周期に繰り返えされる「予見可能な循環」であるため、それによって完全に未知の政治的混乱状況をもたらすのでもない。

大統領の任期問題は、韓国憲法の「雷管」である。李承晩(イ・スンマン)も、朴正煕(パク・チョンヒ)も、その扱いを誤ったために「爆死」した。「大統領の任期は5年とし、重任することはできない」と明記した憲法第70条には、韓国の憲政史の半世紀の結論があらわれている。最近、一部の政治家たちの改憲主張を聞いていると、暴発物で遊ぶ子どものようで不安でならない。考えてみよう。改憲に要求される安定的多数の在籍議員3分の2が、簡単に確保されるだろうか。1988〜2000年の4回の総選挙で、院内過半数にも達していないのだ。

米国の政治学者ジョバンニ・サルトーリが「比較憲法工学」で取り上げた比喩を変形してみると、韓国の政治は、まるで泥酔したドライバーが廃車前の中古車に乗って、鋪装のされていない道路を走っているようなものだ。ここでドライバーを政治家に、自動車を政党に、道路を憲法に対応させてみよう。アクション本に出てくるような「ごろつき政治家」が「地域の諸侯」を行ったり来たりする昨今の現実で、憲法が間違っていたとか、改正しなければならないと言うことは、片腹痛い。

輝かしい米国憲政も「憲法のおかげ」で成功したのではなく「憲法にもかかわらず」成功したと言われている。次期大統領を狙う大統領選の候補たちも、生半可な改憲論より憲法学図の「道路案内」を傾聴することを望む。