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[オピニオン]小さな英雄が見たい

Posted June. 04, 2002 22:27,   

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毎日出勤する者にとって一週間ぶりの和やかな日曜日の朝が、急にスピーカーの音で占領された。よくは聞こえないが、ある市議会議員候補が、何かたいそうな公約をかかげている。市民の誠実な下僕となって、遅れた都市の発展に一役買うという趣旨の遊説が、けたたましいバックミュージックとともにアパートの窓をつき抜けて、休日の空間に響いた。他の住民も、私のようにイライラしていることだろう。しかし、大っぴらに悪口をいう者はいない。スター選手が出場する午後のビッグゲームを期待するあまり、少し寛大になったせいだろう。

最近、国民の心を揺さぶる2つの話頭は、選挙とサッカー・ワールドカップ(W杯)。地方自治が実施されてから10年、3回目の選挙を迎える国民の心情は、あまり興がわかないというのが率直なところだ。十数年前は想像もしなかった市民政治への熱望が現実になったにもかかわらず、心がそちらに向かないのは、地方政治10年の軌跡の中に中央政治の再版を目撃したからだ。統計によると、不正腐敗と収賄事件で罰せられた自治体首長の数が急増しており、中央政治よりも根強い縁故主義や同盟勢力が、地方政治の新鮮な生命力をむしばんでいる。

状況がこうなっては、出馬候補の訴えは、騒音や職業ロンダリング、経歴ロンダリングの意図が潜んだ陰謀の声としか聞こえない。魅力にひかれて近づいてみようと思う前に、彼らのわなにかからないように警戒心が先立つのが事実だ。区役所に近いある地下鉄の駅の入口に、大型スピーカーを置いて1日中、区長の不正を唱えるキャンペーンに、敬意を表する有権者がいるだろうか。

これに比べると、W杯は熱狂と魅力そのものだ。初めて目にするスターの動作ひとつひとつに戦りつを覚え、ネットを突き刺すゴールに歓声が飛び出す。熱狂とは、まさにこのことをいう。誰に言われなくても、心がときめき感動が沸き起こる。スターのヘアスタイルやファッションにのめり込む無防備な熱情だ。ボールを蹴って、一瞬にして全身の力を込めてゴールを決めることは、小さな動作に過ぎない。しかし、そこから世界の人々を熱狂させる衝撃が噴き出すのである。

選手たちは、前後半90分の間、何も語らない。ただ、一心にグラウンドを駆け回って、奮闘する実際の姿をもって観衆に答えるのだ。彼らは言葉も公約もなく、ゴールを入れることだけに夢中になる。小さな行動で大衆的英雄が誕生するのだ。

政治の生命も熱狂にあるというなら、この時代の政治は、そのような条件をそう失したようだ。候補者の言葉は、あまりにも荒々しく大きなことばかりだ。「小さなことに美しさを感じる」有権者は、結局、低質の舌戦で染まった中央政治が作り、縁故同盟でがんじがらめの地方政治があおった結果のため、遊説場がガラガラになっても、寂しく思うことはない。

20世紀が偉大な英雄の時代だったなら、21世紀はそのような英雄を拒否する時代だ。傑出した人物が、世界を驚かせる単発的な事件を起こすことはできても、世界が緊密に結びついている現在の状況では、大勢を覆すだけの政治力を発揮してもその效果が半減されるからだ。つまり、小さな英雄の時代なのである。にもかかわらず、過去の世紀と似た点があるとしたら「小さな行為」に裏づけされた「大きな言葉」であると言える。

人種差別に対する非暴力抵抗の行為に満ちたキング牧師の一代記は、彼の演説にメガトン級の威力を与えた。生涯を戦場で送ったマッカーサーが老兵を語れば感動を生み、戦争内閣を運営したチャーチルがロンドン死守を命じれば、市民は塹壕を掘った。すべての出馬候補がそうとは言わないが、日頃から中央政党の行動に敏感で、利権に導かれた彼らが、街頭に出て大きな話をする時、気軽に握手を求める者はいない。「小さな美学」の饗宴であるW杯にすっかりのめり込む理由である。

宋虎根(ソン・ホグン)ソウル大学教授(社会学)