イタリアからサッカー2002韓日ワールドカップ(W杯)大会のテレビ中継のため来韓したHBSメディアグループのステパノ・アンドレオリー(23)氏は10日午後、ソウル中心部の世宗路(セジョンロ)で数十万人が一ヵ所に集まり活火山のようなパワーを噴出しながら応援する姿に圧倒された。
アンドレオリー氏は「イタリアではリーグ戦でも応援の途中に暴力事件が起こるのが頻繁なことだが、それとは比べられないほど大規模なW杯大会で、途方もない規模の群衆が自制力を持って応援していることに驚いた。信じられない(incredible)」を連発した。
AFP通信は韓国と米国が対戦を翌日に控えた9日「韓国のサッカーファンらは世界で最も大人しい応援を繰り広げるが、米国との試合が終われば野獣の姿を見せるかも知れない」と懸念の意を示した。しかし、韓国応援団はサッカーを祭りに昇華させ成熟した応援の文化を実現させた。
こうした姿が外国人、はなはだしくは日本人の目にも不思議に写っている。
共同通信は8日、大邱(デグ)発の記事でフランス記者の話として「こうした応援団は動員と無関係ではないはずだ」と報じた。しかし、こうした見方は韓国の応援文化を到底理解できないことから生じた誤報だ。
それなら一体こうした爆発的な応援文化の根は何だろうか?
精神科専門医らはこうした応援文化を「集団的ヒステリー」のカテゴリーから解釈している。
ソウル大医科大学の権俊寿(クォン・ジュンス)教授は「集団的ヒステリーが必ずしも悪いものではなく耐え難いストレスを表出し解決する順機能としても働くのだが、韓国の応援文化はこうした側面から理解できる」と説明した。即ち、韓国社会は現在、政治的・社会的に指導層にいかなるものも期待できない状況だが、市民の潜在的不満が「サッカー」という媒体を通じて一つとなり表出されているということ。
延世(ヨンセ)大学精神科の閔聖吉(ミン・ソンギル)教授もだいたい同じ見解を示したが「こうした集団的ヒステリーは自制できなくなると恐慌・集団的憂うつ症にも陥り得るものだが、祭りとして終ることができたのは、韓国市民の高い水準を反映するものだ」と説明した。
スポーツ学では、日本による植民地支配時代(1910〜1945)から韓国のスポーツは、続けて似たような機能を遂行してきたという見方を示している。
スポーツは、1969年オンドゥラスとエルサルバドルとの戦争を触発したことからみられるように、逆機能として働いたりもするが、韓国内でのスポーツは多くの場合、市民社会のパワーと団結を表わす機能を果たしてきたということ。
運動心理学の高麗(コリョ)大体育教育科の文益洙(ムン・イクス)教授は「日本による植民支配時代(韓国では日帝時代と呼ぶ)と軍事独裁政権の時代、スポーツと応援文化は、市民社会の意志を表現する手段だった」と説明した。すなわち、日帝時代の朝鮮体育会の幹部らは、そのほとんどが独立運動家で、当時のスポーツの応援は一種の独立運動だったということ。また、軍事独裁政権の時代、延世大・高麗大両校のスポーツ祭典(延高戦)が行われるシーズンになると、大学生らは街でデモを繰り広げ市民らはそれに積極的に加わったりしていた。
文教授は「今回の街での集団的応援は、市民がサッカーへの応援を通じて政界などに向けて胸の奥にたまっている何かのカタマリを表出し、市民らの力を披露しようとしていることの現われだ。とくに、市民運動の聖地とされる世宗路一帯に市民らが雲集する理由に注目しなければならない」と説明した。
李成柱 stein33@donga.com