全国で赤い波がうねり、全国民はひとつになった。ソウルは試合開始前から、雨が降り始めたが、ワールドカップ(W杯)熱気を冷ますことはできなかった。「デ〜ハンミングク(大〜韓民国)」と「オ〜必勝コリア」を叫ぶ歓声が全国をゆるがした一日だった。
韓国のW杯決勝トーナメント進出のカギとなる米国戦が行われた10日、全国の81カ所で66万人(警察推計・午後5時現在)の人出が街を埋め尽くし、一丸となって韓国チームを応援した。
ソウルは同日、光化門(クァンファムン)大通りと市役所前広場に30万人が集まるなど、大型電光板が設置された10カ所で45万人余りが街中の応援戦を繰り広げた。
▲ソウル光化門と市役所前広場〓鍾路区世宗路(チョンログ・セジョンロ)十字路一帯は、市民たちが赤色のTシャツを着て道路を埋め尽くし「赤の海」を演出した。試合開始3時間前から集まり始めた市民たちは試合が始まると15万人に増えた。
午後3時半、試合が始まると雨足が強くなったが、市民たちは「大〜韓民国」を叫びながら、本格的な応援戦を繰り広げ、愛国歌(韓国の国歌)が流れるときは一斉に合唱をした。
市民たちは前半、薛鐗鉉(ソル・ギヒョン)と柳想鉄(ユ・サンチョル)選手のシュートと、李乙容(イ・ウルヨン)選手のPKがゴールを外れると、ため息をついた。前半24分、米国チームに先制点を許すと、街には一瞬静寂(せいじゃく)が走った。
約8000坪の広場に大型電光板3つが設置された市役所前広場にも、15万人余りの市民が集まり応援を送った。
試合開始前の午後2時からクラングナット、ユンドヒョンバンドなど、人気ロックグループたちの祝賀公演が行われ、市民たちは「プルノリヤ」「鯨狩り」などのK−ポップを合唱しながら祝祭ムードを盛り上げた。
女子大生の金ユンミさん(22)は「こんなに興奮し、素晴らしい祝祭は初めて。準々決勝まで進んで、このムードが続くといいですね」と話した。
同日、光化門とソウル市役所前広場には、近くのオフィスに勤める会社員たちもネクタイをつけた服装のまま駆けつけ、87年の6・10民主化運動のときの「ネクタイのデモ隊」を連想させた。
一方、警察は53個中隊6000人余りの警官隊を市役所と光化門周辺に配置させ、万が一の事態に備え応援団を警官隊で完全に囲んだ。
とくに駐韓米国大使館周辺に2個中隊を配置し、パトロールカーを利用して大使館周辺に「バリケート」を張った。
▲江南、汝矣島、ソウルW杯スタジアム〓3万人余りが雲集した蚕室(チャムシル)野球場と江南区三成洞(カンナムク・サムソンドン)のCOEX広場にも赤い波がうねりを見せた。
韓国チームが前半に1点を奪われ、決定的なPKをはずす場面では、蚕室野球場に集まった3万人の観衆は一斉にため息をついた。
雨足が太くなると、雨を避けて席を移動はしたものの、大部分の応援団は傘をさしたり雨着を着て席を守りながら「大〜韓民国」を叫んだ。時間が経つに連れて、球場を訪れる市民は増え続けた。
大型電光板が設置された汝矣島(ヨイド)の漢江(ハンガン)市民公園の野外舞台前にも5万人の応援団が集まり激しい雨の中でもひとかたまりとなった。
麻浦区上岩洞(マポグ・サンアムドン)のW杯スタジアムに接している平和の公園にも、にわか雨が降り注ぐなか、3万人余りの市民が集まり、ロックバンドの演奏に興じて応援歌を歌いながら韓国チームの善戦を祈願した。
京畿道城南市(キョンギド・ソンナムシ)の盆唐(プンダン)から応援するために駆けつけた朴チスクさん(35・主婦)は「応援歌を皆で歌っているうちに、涙が出てしまった」と涙ぐんだ。
このほか、大学路(デハクロ)のマロニエ公園と蚕室の漢江市民公園などでも、1万人余りの市民が応援に参加するなど、ソウルの街は応援歌と掛け声がどよめいた。
一方、同日午後、駐韓米国大使館と江南区三成洞の在韓米国商工会議所など、大部分の米国関連機関は、米国戦の応援と、万が一の事態に備え、休みに入っていた。
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