Go to contents

[オピニオン]公約を守ってはならない理由

[オピニオン]公約を守ってはならない理由

Posted June. 14, 2002 23:34,   

한국어

90年代半ば、ポーランドの労組の指導者レフ・ワレサは、大統領選挙運動中に奇抜な公約を掲げた。当選すれば国営企業を一斉に売り払い、その金を国民1人当りに1億ズオチずつ分け与えるというのだった。韓国ウォンに換算すると、800万ウォンぐらいになる。どれほど多くの有権者が、この話に乗って彼を選んだか分らないが、ともかくその公約は、守られるはずのないものだった。当選後、金をもらえなかったある市民が彼を訴えた時、裁判所はワレサに有罪判決をくだした。しかし、幸いなことは、ワレサは法的処罰を受けはしたものの、公約を実践して国の経済を滅ぼさなかったという点である。

約束は守らなければならない。しかし、当選者が公約を実践する時、それが有権者に害を与える場合、話は違ってくる。有害な結果と分っていながら公約に固執すれば、このことほど頭の痛いこともない。一昨日終った地方自治体首長選挙運動で、候補者が遊説の場で掲げた公約を集めて詳しく見てみると、ふとそんな考えが思い浮かんだ。

公約そのものを否定したり、健全な実践への努力を軽視するわけではない。ただ、当選者が雲をつかむような公約を実践すると言い張る場合、それによってもたらされる災難が、そっくりそのまま彼を選んだ市・道民に跳ね返ってくる点を強調せずにはいられない。実現の可能性と事業の必要性が立証されない幻想的な公約ほど、それが推進される時に生じる副作用は悲劇的だ。前回の選挙で選ばれた自治体首長らの公約が、任期満了が近づいた現在、守られたのが、わずか12%というから、このようなことを心配すること自体、き憂であるかもしれない。

ある経済研究所が、今回の地方選挙、それも広域自治体の首長のケースだけを集めてみたところ、当選者が掲げた公約を完璧に実践するには平均90年がかかり、それに必要な資金を計算すると、韓国全体の1年の予算の17倍にもなるという結果が出たという。大韓民国の信頼できない人々が、みな政界に殺到したということか。

公約を守ると言って、国民の税金で農工団地を建て、無駄に海を埋め立てて、ガランとした土地に管理費をつぎ込み、住民の生活をより苦しくさせたある市、道知事らが、今でもその地位に平然と居坐っているのが韓国政治の現実である。

しかし、地域開発への公約はまだいい方だ。地方自治体の首長が、国家経営に関する実力以上の公約をした場合はどうか。工場が選挙区内にあるからといって、ハイニックス半導体の海外売却を阻止すると大言壮語を吐いた京畿道(キョンギド)知事候補のコメディのような公約は、選挙で票さえ得ることができれば、実の親でも売るといったようなたわ言のようなものだ。

当選者が労組と交わした約束どおり、ハイニックスを独自に生存させる道がないわけでもない。京畿道が1年の予算10兆ウォンをそっくりそのまま投じて、4年の間債権団に支払えば、急場はしのげるかもしれない。そんな愚にもつかない公約を守るために、京畿道民らが、新しい道知事の任期中、福祉をあきらめ所得がないことを甘んじて受け入れなければならないなら、その公約を守ることが正しいと言えるだろうか。

地方選挙は終ったが、より大きな心配は年末にある大統領選挙だ。大選候補たちが、地方選挙候補者より信頼でき、実現可能な公約を掲げるという期待は、早めに捨て去る方がいいだろう。すでに出始めた公約の中には、「ワレサ」のような公約がかなりあるからだ。このだましだまされるゲームは、有権者である国民が当選者の空公約を忘れたり、食言を許してきたために、いつまでも繰り返されてきた。

候補者をとがめることも、もはやうんざりする。このような前提で、候補者にお願いしたい言葉が一つある。無意味な期待を国民に抱かせようと、あらゆる階層をそそのかすことはやめてもらいたい。彼らの公約のために、選挙前に国民が階層間の理念対立で分裂すれば、その後遺症は公約を守らなかった時の害悪よりもはるかに大きくなるためだ。空公約がもたらす政治的害悪が最近いつになく気にかかる。

李圭敏(イ・ギュミン)論説委員