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[オピニオン]分離から一体へ向かう厳かな道程

[オピニオン]分離から一体へ向かう厳かな道程

Posted June. 16, 2002 13:05,   

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大韓民国がW杯16強を手にした瞬間、全国は赤い波がうねっていた。赤い波の中からいっせいに沸き上がった喜びは、4700万の国民を一つの生命体に変えた。ゴールを入れる寸前、グラウンドに自分一人でいるような感じがしたという朴智星(パク・チソン)の告白は、核心に迫る言葉だった。

あの瞬間、私たちは皆一人だった。「私」が「私たち」であり、「私たち」が「私」だった。私たちはあの時、誰もが同じ熱望を抱いた一つの生命体だった。「レッドデビルズ」の応援席に「私たちは今、彼らとともに息をする」との横断幕がなびいている理由も、ここにある。

国民はなぜ「レッドデビルズ」に、あれほど沸き返るのだろうか。「レッドデビルズ」のメンバーの次のような言葉は、疑問を解いて行くうえで、少なからぬ手がかりを提供している。

「私たちは、サッカーの試合をただ観ているだけではない。応援を通じて、試合に積極的に介入する。グラウンドの外からのぞくだけの、受け身の他者ではないという意味だ。韓国の選手がボールを奪うと応援のテンポが速くなり、ボールを奪われるとテンポが遅くなる。テンポの速い応援は、韓国選手の心拍を速め、テンポの遅い応援は、相手側の選手の流れを乱してしまう。こうして応援しているうちに、私たちの体は、自ずと試合の流れの中に溶け込みながら、客体の位置から主体の位置へと移動する。そして、クライマックスに向かって突っ走る」

「レッドデビルズ」が12番目の選手と呼ばれる理由は、さらには国民が「レッドデビルズ」に熱狂的にはまってしまう訳は、ここではっきりとしてくる。選手の体と「レッドデビルズ」の体が分離されていないからである。現代文明は、世界の中心から人間を絶えず分離させてきた。分離がもたらすのは疎外であり、疎外がもたらすのは憎悪である。世界中の人々が、丸くて小さな「フィーバーノヴァ」に寄ってたかるのは、一体に対する希求の現れである。

赤い波がうねり始めたのは、韓国とポーランド戦が行われた6月4日のことだった。釜山(ブサン)スタジアムはもとより、全国の主要都市が赤い波に覆われた。赤い波は、大韓民国を一気に祭りの地へと変えてしまった。祭りの時間は、通常時間とは異なる。厳かさと敬意を払うべき対象である国旗の太極旗(テグッキ)が身を飾る道具と化し、身体そのものがペイントされるということは、日常的な時間ではないからだ。若い世代が演出する、このバイタリティーに満ちた文化現象が、韓国社会の固定観念を崩しているとする専門家の分析は、非常に示唆に富んでいる。韓国の「レッドデビルズ」は、ほかの国のサポーターに比べ、格別な意味合いを持っている。南北に分断されている唯一の国が韓国であるからだ。

同族が相争い殺し合う残酷な戦争以降、赤に対する恐怖症、つまり「レッドコンプレックス」は、韓国社会の最も強力な権力のネットワークとして君臨した。この半世紀の間、私たちは赤い色を目にしただけで緊張した。それを見事に現している事例として、60年代の子どもたちの頭の中にいる北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の人は、真っ赤な身体に頭に角が生えた怪獣だったというから、その度合いがいかほどであったか察しがつくはずだ。

「レッドデビルズ」が誕生したのは、1997年にパソコン通信で知り合ったサッカー同好会のメンバーたちが、プロサッカーの試合を団体で見始めてからだという。この若者たちは、北朝鮮の人を怪獣と考えている世代ではなかった。自分たちの組織を「レッドデビルズ」と名づけたのは、彼らの精神がレッドコンプレックスに取り付かれていなかったからこそ、可能なとだったのである。彼らがまだ幼かった1980年5月の光州(クァンジュ)は、レッドコンプレクスに対する根源的かつ全面的な問いかけを行った。この問いかけがもたらしたのは、韓国における民主化の出発点とされる、87年の6月抗争であった。6月10日から始まった民主化の道程は、6月26日、全国37都市で100万人がデモに参加してクライマックスを迎えた。韓国—米国戦が行われた2002年6月10日も、100万人もの人が街頭に繰り出した。「レッドデビルズ」のユニフォームを身にまとった彼らが口々に叫んだのは「デーハンミングク(大韓民国)」と「オー必勝コリア」だった。

6月抗争から2年後の89年2月、ハンガリーとの国交が樹立した。大韓民国の政府樹立41年ぶりに共産国との間で結ばれた初めての国交だった。平和統一の前提条件は、対立から共存への転換である。ハンガリーとの国交樹立は、平和統一に向けた韓国の第一歩が、国際的に確認された最初の事件であった。

それから11年後の2000年6月15日、ついに6・15南北共同宣言が発表された。大韓民国の大統領が「悪魔の怪獣」だった北朝鮮の最高指導者とともに、平和統一の実現に重大な意義をもつと評価した共同宣言を世界に向けて明らかにしたのだ。6・15南北共同宣言2周年を翌日に控えた2002年6月14日、大韓民国は再び赤い波に覆われた。分離から一体へと向かう荘厳な波で…。

鄭贊(チョン・チャン)小説家