応援歌も時代によって移り変わるのだろうか。50代以上の世代には、三三七の拍子が慣れている。「ビクトリー、ビクトリー、V−I−C−T−O−R−Y」と声を張り上げて叫んだものだ。
それがいつからか、チアガールが登場し、プロ野球とプロサッカーチームが誕生してからは、応援の熱気も一層盛り上がった。応援歌には、ドボルザークの「新世界交響曲」第四楽章の迫力あるメロディを行進曲風にアレンジしたものもある。
今回のサッカー・ワールドカップ(W杯)は、公式テーマソングの他にも多くの応援歌が作られた。キム・ドクスのサムルノリも、韓国的な音律を基本に「ワールドカップ、コリア、ア〜へ〜ホ」を作ったが、一般には知られていないようだ。この他にも多くの応援歌が現われたが、国民的テーマソングに選ばれるのは、ユン・ドヒョンバンドが歌う「オ〜必勝コリア」と「テ〜ハンミングッ」の応援語である。
「オ〜必勝コリア」の曲には作曲家はいない。編曲者だけがいる。民衆の心から自然発生的に生まれたのが民謡なら、国民の念願が国民賛歌を作ったといえる。国民みなが作曲家というわけだ。短いひと言を応用して作ったものだが、想像を超えた伝播力がある。家庭、職場、街頭の至る所で口ずさまれ、デパートのマーケティングの好材になっている。
世界を相手に商品を売るなら、国家レベルで「オ〜必勝コリア」テーマソングをアレンジして、素晴らしい曲を作るべきだ。ベートーベンの交響曲「運命」は三連音符の「タタタターン」と単純に始まるが、卓越した想像力で人類の名曲を作ったように、韓国のW杯神話は、文化的想像力と結合して、ばく大な付加価値を創出しなければならない。
応援歌「オ〜必勝コリア」や「テ〜ハンミングッ」の出だしの音が、いずれも長音という共通点がある。
皆が十分に呼吸を一つに凝集する効果がある。単純に叫ぶよりも、洗練されて叫ぶ楽しさがある。至極単純なメロディ、3回の反復、最後の「オ、オ・・・」という娯楽的楽しさが明快に結合している。真理が単純なように、この応援歌には屈折した歴史、わい曲した現実を超克する韓国人の成熟した文化原型のエネルギーが盛り込まれている。
権威主義時代には想像もできなかった太極旗(テグッキ、韓国の国旗)の変形ファッションを見よ。若い世代の噴出したエネルギーを生かすには、政界を始めとする既成世代の変化が求められる。スポーツの熱気が消える前に、これを国家エネルギーの動力としなければならない。
参加国の国歌や民謡を入れて「オ〜必勝コリアファンタジー」を作り、世界の人々の記憶に永遠に残るようにしてはどうか。そして世界に羽ばたく若者たちを、韓国文化の本質や西洋文化への理解を通じて、国際人に育ててはどうか。堂々と成熟した姿を見せるのが文化の役割である。