光化門(クァンファムン)にヒディンク広場と銅像を建てよう。
2002サッカーのワールドカップ(W杯)を通じて噴出した、わが民族の熱情と底力は、世界はいうまでもなくわれわれ自らまで驚かせた。
檀君(ダングン、韓国の開国神)以来、今のように全国民が和合、団結、歓喜で一つになったことがあったか。誰もが根強い恨(ハン)を抱えているわが民族を短い間にこんなに熱狂させたのか。筆者はソウル光化門とソウル市役所の前に、次から次へと集まって熱狂するサポーターを見て、もし韓国にヒディンク監督のような偉大なる政治指導者が現われてわれわれをリードすれば、韓国の国力が世界4強に躍進するのは時間の問題ではないかという気がしてきた。
もはやポストW杯に備える時期にきている。政府や民間、各分野でさまざまな対策がまとめられていると聞いているが、我々は88年のソウルオリンピックを成功裏に終えたにもかかわらず、その成果を生かせなかった歴史を教訓にしなければならない。
我が民族の熱情を底力が、遺憾なく噴き出したW杯の偉大さを生かすために、ポストW杯の課題として次のいくつかのアイデアを提案したい。
第一、街頭応援で世界を驚かせたソウル光化門と市役所前の一帯を韓国風の都市祭りの場として作り、観光資源としよう。「赤い悪魔(レッド・デビルズ)」誕生の現場でもあり、W杯期間中、世界の注目を浴びた地域でもあるためだ。とりあえず、一定の区域を設定して「W杯通り」、あるいは「ヒディンク広場」と名づけよう。この区域の道路、並木、街路灯、道路包装はもちろん、周りのビルのカラー、看板まで伝統的な韓国型へ衣替えさせたり、西欧の模範的な広場をベンチマーキングして世界の名所に相応しい祭りの広場に作り上げよう。
第二、この通りと広場のしかるべき場所にヒディンク監督の銅像を立て、周辺には今回のW杯の英雄である選手、コーチ、支援団の足跡(足の印)を銅板で作って永久に取り付けよう。
第三、この区域の中に小型のW杯記念館を建てよう。この記念館には映像館を設け、あの日の応援熱気が現場で感じられるように映像を引き続き上映しよう。ここを訪れる外国人観光客に当時噴き出した韓国人の熱情と歓喜を紹介し、わが国民には、その日の感激を永遠に感じられるようにしよう。
第四、記念館にはW杯の期間中、テレビなどメディアに登場した全ての場面を綿密に分析して、なかでもユニークなデザインの服装、応援道具、ボディー・ペインティング、ボランティア画面などを選んで、素晴らしい映像を蝋人形に製作して展示しよう。
第五、我々が4強に進んだその日を毎年W杯祭りあるいは国民祝祭の日に制定し、これといった祭りの文化がない韓国ならではのユニークな国民の祭りに作り上げよう。その日の祭りには街頭応援の特色を生かして世界各国のサッカー応援団を招待して祭りを開こう。たとえば、日本のウルトラニッポン、中国のチウミ応援団、そして南米と欧州のサッカー応援団のほか、ここに韓国の大学応援大会、応援服ファッションショー、扮装ファッションショーなどを織り込めば、さらに効果的だろう。
李太教(イ・テギョ)ギラ情報通信会長 前漢城(ハンソン)大学大学院長