民主党の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領候補が昨日、金大中大統領に対し「政争の中断に向けた中立内閣」を求めたことや、これを受けて大統領府が「内閣の再編は大統領固有の権限」であるとして遺憾の意を表明したことは、何れも適切な措置とは言い難い。
先ず、大統領府が発表した「遺憾」という言葉の中には「内閣再編に対する要求や申し出は誰にもできない」との偏見が含まれているようだ。そうした要求や申し出は、大統領の人事権を侵害するのも同然だという意味に聞こえる。しかし、内閣再編への要求そのものまで封鎖するとすれば、どうして民主国家と言えるだろうか。失政に対する責任追及のため内閣再編を要求するのは、国民の堂々たる権利である。内閣再編のための人事権を行使することが大統領固有の権限であるとすれば、内閣再編を求める国民の声に耳を傾け、人事に反映することもまた大統領の責務である。かつて、金大統領も野党時代には、頻繁に内閣再編を求めている。
この日、盧候補の中立内閣への要求もまた、その内容をみると説得力に欠けている。「国務総理、法相、行政自治相など、選挙関連省庁の責任者の場合、ハンナラ党からの推薦も受け入れて任命するようにしよう」という盧候補の申し出は、現実性に欠けた「政治的言い草」にすぎない。当のハンナラ党側は「内閣に参画するとした覚えはない」と、攻勢をかけている。
この先、国会議員の再・補選と大統領選挙の公正性の問題は、政党間で再び論争の的になり兼ねない。また、わが国の選挙文化からみると、権力の介入も全く排除できない状況だ。しかし、公正、公明選挙については、国民すべてのコンセンサスづくりが得られ、先般6月13日の地方選挙も、大きな雑音もなく、無事終了した。
中立内閣を求める盧候補の要求と大統領府の反応は、国民の意識レベルと隔たりがある。政界離れの理由も、そうした慎みのない身の振り方のためである。