1876年に、朝鮮は日本の圧力を受けて、不平等条約である江華島(カンファド)条約を結び、釜山(プサン)のほか2ヵ所を開港することで合意した。条約が結ばれた直接の発端は、永宗島(ヨンジョンド)近海に現われた日本の軍艦、雲揚号が江華島に近づいたため、草芝鎮(チョジジン)砲台から砲撃したことによる。領海を侵犯した外国軍艦に発砲することは当然だが、翌年日本は、再び軍艦を送り、雲揚号への砲撃に対する賠償と開港を求めた。徐基源(ソ・ギウォン)の小説「光化門(クァンファムン)」には、当時雲揚号が江華島で砲撃戦を繰り広げた後、永宗島に先制砲撃を加えて上陸し、攻撃した状況がよく描かれている。
△約100年前、帝国主義列強によって門戸を開いた東アジア諸国は、今や開放を通じて外国資本を誘致するために競争している。
過去、開港が開放を意味したなら、今は経済特区が開放の手段だ。中国は1980年に深圳、珠海(チュハイ)、汕頭(サントウ)、厦門(シャモン)の4大経済特区を指定して以来、めざましい発展を遂げた。特区指定後、中国は、年平均9.8%の経済成長を記録し、20年間で国内総生産は20倍に増えた。貿易高も毎年約15%増加し、外貨準備高は約1500億ドルで、日本についで世界2位の水準だ。
△中国の経済特区は、頳小平によって始まった。1979年、頳は、南部の広東省を訪れ、経済特区の創設を初めて提案した。彼は、特区が技術と知識を受け入れる窓口になると予見し、経済特区建設に拍車をかけた。これにより、海岸地域の4カ所に次ぎ、1988年には海南島経済特区も加わったことで、中国は「世界の工場」となった。経済特区の成功の秘訣は、外国資本の誘致にある。特区内の企業に対し税制を優遇し、企業家たちのビザ申請を簡素化するなど、企業活動を容易にすることで外国企業を引きつけた。
△日本の軍艦、雲揚号が攻撃した永宗島一帯が、経済特区に指定され、開発される予定だ。北東アジアの物流とビジネスの拠点にするというのが政府の計画だ。仁川(インチョン)国際空港がある永宗島には、ミニ新都市や物流観光団地を作り、地続きの竜遊島(ヨンユド)とすぐそばの舞衣島(ムイド)は、総合観光団地にするという。特区に投資する外国企業に対しては、税金減免の優遇が与えられる。しかし、経済特区に指定されたからといって、発展が保証されるわけではない。問題は、道路、港湾、通信施設などのインフラをしっかりと整えなければならない。永宗島一帯に外国企業と商船が押しかけることを期待する。
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