映画「愛しのローズマリー」で大デブの女の主人公を演じたグィネス・パルトロウが、アメリカのテレビに出演して話した言葉がある。「街で人々に何かを尋ねようとしたらみんな無視したんですよ。扮装していたからでしょう。」そのきれいな女優は、肥満した女性に対する差別がそれほど深刻なものであるとは実感させられなかったようだ。男女差別だの人種差別だのしても容ぼう差別あるいは外見至上主義(ルッキズム)ほどひどいものはないと経験者らは、口をそろえて話している。
◆デブの人は、友達に恵まれず、怠け者で知的ではないという印象を与えるのに対し、スマートでカッコいい人はその反対であるということは、社会心理学の本でも決まって触れる「固定観念」である。カーリックという社会心理学者は「外見が魅力的なら社会的な成功はつき物だと思われる」と述べ、ユェイル大学の心理学教授であるマリアン・ラフランスは「長い銀髪の女性がより知的で、セクシーであり、お金と権威もあると思われる」と発表した。韓国の女性も「外見が人生の成否を大きく左右する」と思っていることが調査でわかった。成形手術中毒になるほど、外見に命をかけてまでこだわっており、有害なやせ薬を飲んでダイエットしていることがタイム誌に載せられたくらいだ。
◆「外見が競争力」だという女性の思い込みを虚栄心のせいだけにするわけにはいかない。美貌がお見合いはもちろん、就職と社会生活においても陰に陽に影響するのが、間違いない現実であるからだ。イギリスのオックスフォード大学の経済統計研究所が発行する学術誌によると、肥満体の女性は給料も少ない。今春、アメリカでは顔のしわを取り除くために使われていたボートクスを成形手術用に使ってもいいという食品医薬局(FDA)の承認が出るや「第2のバイアグラ」になるだろうと人々は興奮した。女性の場合、一生の売り物は美貌と若さであり、これはカネと時間の余裕のある階層ならいくらでも買うことができるということを象徴的に物語る出来事だった。
◆今になって「心がきれいな女性が本物だろう、顔だけきれいな女性に惑わされないように…」と歌を歌うところで、それは過ぎ去った歌謡であるだけだ。本人が願い、責任を取る能力さえあれば、きれいになって悪いことはない。ただし、皮膚ほど薄っぺらな美的基準や時代によって変わる世の中の物差しに翻ろうされることが望ましくないと思うのなら、白雪姫のように死ぬ直前まで王子様の口付けを待つばかりにはいられない。それよりは、「魔女宣言」をするのはどうだろう。この文章に筆者の写真が出ないからいう言葉ではあるが、人の目に一生左右される美人よりは、自分の手で自分の運命を開拓していく魔女の人生の方がずっと面白いだろう。
金順徳(キム・スンドク)論説委員