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[オピニオン]故ダイアナ妃と「オアシス」

[オピニオン]故ダイアナ妃と「オアシス」

Posted August. 30, 2002 22:16,   

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彼らが持っているものは何もない。女は家族に捨てられた脳性マヒの障害者で、男は足腰に不自由はないが、たまにだらしないことを仕出かす前科3犯だ。はてよ、その二人が恋をするという。お互いを王女様、将軍と呼びながらだ。40万観客を動員した李滄東(イ・チャンドン)監督の韓国映画「オアシス」の筋書きだ。口が曲がってしゃべることさえままならない王女が幻想のなかで「私がもしも空だったら…」と歌う場面と、牢に入れられて官食の「豆ご飯」を食べながらも、王女の食性に同化して「俺、もう豆が嫌だ」と言う将軍を見て声を出して泣く観客もいる。

◆5年前の今日、この世を去った英国のダイアナ妃は富と権勢、美貌のすべてを持った女性だった。ただ一つ、愛を除いては。20歳で12歳上のチャールス皇太子と結婚する前の彼女は、すでに新郎と新郎の長い愛人だったカミーラ・パーカー・ボールズ夫人との関係を知っていた。初夜から10年余りを悩まされた大食症と拒食症は、愛されたい欲望の無意識の表れだ。ダイアナ妃は、自分を神経症患者に追い込む夫に怒りを覚えたし、苦しみの末に華麗な監獄を脱出した。しかし、ハイエナのようにつきまとうパパラッチの監獄のなかで結局世を去った。

◆もちろん「オアシス」は虚構で、ダイアナ妃はノンフィクションだ。二人を比較するのは妥当でないのかも知れない。しかし、人間に与えられた想像力を一度は発揮してみよう。映画のなかの王女と将軍は、社会からそっぽをむけられた落伍者だったものの、愛があって幸せだった。もちろんホルモンの強烈な化学作用に従って結婚したあとも、その愛がどのくらい持つか疑問だが。これに比べて、ダイアナ妃は生きている人間であるにもかかわらず、誰もそう思ってくれなかった。チャールス皇太子は、彼女を皇室の付属品扱いしたし、周りは身分とシンボルとして相手してくれるだけだった。大衆はおとぎ話のなかから出てきたシンデレラとして、商品として眺めた。だからダイアナ妃は不幸だった。

◆王女と将軍。そしてダイアナ妃は平凡な私たちとは「違う」人だ。しかし、人は本質的には同じだ。また、皆が違うからこそ人間でもある。自分と違う人に対して、われわれは非人間的に見えるほど残忍な存在になる。「オアシス」は、その自分と違う人を愛する方法をわれわれに感動で教えてくれる。木の陰を怖がる王女のために窓の外の木の枝を折ってくれる。受ける人が希望する形で愛を与えるのだ。本当の王女だったダイアナ妃は、夫から愛を受けることはできなかったが、慈善活動でより多くの人から愛されることができた。彼女が20世紀の神話として記憶される所以だ。

金順徳(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com